戦国自衛隊も同族視 光秀もダジャレ しずかちゃんと光秀は親戚?(3)2020年02月15日 08:25

光秀の本拠地・亀岡にある愛宕神社
 半村良のSF「戦国自衛隊」にこんな描写がある。 時震で戦国時代初期にタイムスリップした自衛隊員たちは、タイムスリップの地点が分からなくなると困るので、目印に神社を置いた。地元の民は自衛隊員たちが祭っているのは時の神、トキガミ様だと噂する。時は土岐とも書く。その噂が美濃の土岐氏に伝わる。土岐氏は自衛隊員たちを同族と認識し、合戦に協力する。
 これを読んで、幼心に「戦国武将がそんなダジャレみたいな事するか。そんな都合のいい話はないだろう」と少しバカにした。しかし、名字研究家・森岡浩さんに話を聞きに行って認識を改めた。
 中世の日本人にとって、名字が同じ読み方というのはとても意義のある事なのだ。本家から独立して分家を作る際、読み方が同じ別な字に変える事がよくあった。例えば、飯干と飯星(いいぼし)、高梨と小鳥遊(たかなし)などだ。同じ字は恐れ多いと言いながら、本家よりイイ感じな漢字にしてしまうのも定番。かく言う鍛治家も本家の鍛冶よりイイ感じ(冶金の冶 → 治世の治)にしてしまったのかもしれない。
 そもそも日本の中高年が漢字の意味も字面も全く違う言葉のダジャレを変に面白がるのも、読みが同じモノを同一視する伝統に根ざしているのかもしれない。
 土岐氏が「時」を名乗る者たちは同族だと判断する事はそんなに無理なこじつけでもないのだ。むしろ、勝ち馬に乗る口実を見つけて、じり貧にある一族の勢いを取り戻そうという大人の計算だってありうるだろう。
 半村良が着想を得たかもしれないエピソードがある。本能寺の変を起こす数日前。光秀は愛宕山で連歌の会を開いた。連歌の最初になる発句は主宰者の光秀が詠んだ。
「ときは今天が下しる五月哉」(ときはいま あめがしたしる さつきかな)
 「季節は今、梅雨が降る五月だよ」みたいな意味だろう。和歌も連歌もよく知らないが、教養人の光秀が先頭を切る句としてはどうなの? 武家の中では特別に文化度高めとされた光秀本来ならもう少し気の利いた事を詠むのでは。
 この句は裏の意図があったと深読みされている。「天下しる」と読めば「しる」には統治するという意味もある。また、「天が下知する」とも読める。「土岐氏(である自分)が天下を取るのだ」という決意、犯行予告であると。そんな危ないマネはしないだろうと否定論もある。ただ日本人には言葉の持つ力に対する強いこだわりがある。決行を知らせる誰かに向けてのメッセージではなく、自分自身への祈念ではないだろうか。京都にいた時、光秀の本拠地亀岡の愛宕神社には行った事があるが、この愛宕山がどこの事なのかよくわからなかった。
 光秀が使っていた桔梗紋はメチャクチャ目立つ水色だったといわれる。本能寺で奇襲攻撃を受けた信長は、敵はどこの軍勢か問う。桔梗紋の旗に取り囲まれていると知らされ、「ぜひもなし」(光秀が相手では観念せざる得ないというような意味だろう)とつぶやいたと伝わる。土岐氏が桔梗紋を使うようになったのも桔梗の古語が「おかととき」だったからとされる。

写真は、光秀の本拠地・亀岡にある愛宕神社。全国の愛宕神社の総本山である京都の愛宕神社のさらに大元だと言っていて、通称は元愛宕。柱に全国愛宕の本宮と書いてある。

しずかちゃんと光秀は親戚?(1) 義仲の名字が違うのはナゼ http://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/02/13/9213306

土岐氏なのに国盗り物語が読めない しずかちゃんと光秀は親戚?(2)
http://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/02/14/9213711