YOSHIKIなどと同じ大きさだった2023年06月04日 12:12

YOSHIKIなどと同じ大きさだった
献花に行ってきた。事前にしつこく確認されただけあって、珍しく、鍛冶とか鍜治とかの間違いはなかった。ただ惜しむらくは順番。ちゃんと読み方も申込書に書いてあったのだが、あいうえお順なら壮一の方が先。価格は一律でランクワケがないので、YOSHIKIや高見沢俊彦などと同じ大きさになっていた。産経新聞の社長の名前などもあったが、相当な恩恵を受けた日テレなどの名前がない。たぶんだが、非公開でやった業界関係者だけのお別れ会で大枚をポーンと出したんじゃないかと想像する。しかし、一般ファンが見る所にも出してアピールしてないのは詰めが甘いなと。ちなみに思い出の写真の中央は、アマゾンに行く前パリで壮一が撮ったものだそうだ。戦車に乗ってるのもたぶんそう。

◆鍛治壮一の親友に哀悼を
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/05/06/9583633

◆松本零士さん今でも手書きだったのでしょうか
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564176

◆最後の社会部記者 鍛治壮一儀
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2022/03/19/9473885

囚人席はないJAL777 ボーイングvs.エアバス2023年05月21日 18:46

囚人席はないJAL777 ボーイングvs.エアバス
 昔出張で空港に行ったら、JASの職員がB777に乗る乗客に「今日は満席でもう5席の真ん中しか残っておりません」と謝っていた。私は777ではなく767に乗るために並んでいたのだが同じことを言われた。「767に5席編成なんてありましたっけ?」。謝りすぎてわけがわからなくなっていたようだ。このボーイング777の5席の真ん中をライバルのエアバスは「プリズなーシート(囚人席)と呼んでいた。
 ボーイングが双発ワイドボディB777のデモで欧州のエアショーに参加した際、777の客室にエアバス機の輪切りにした胴体の実物大模型を設置した。曰く、「WIDE BODY?」。ワイドボディはジャンボジェットなどのように通路が2列以上ある胴体の幅が大きい機体のこと。777の胴体は太く、こんなに客室が広いが、それに比べ、エアバス機の天井はこんなに低い。よくワイドなんて言えるなという痛烈な比較広告だ。ボーイングの背の低い広報が自分でも頭が天井にぶつかるとジェスチャーで揶揄していた。激怒したエアバスは「777にはprisoner seatがある」とわざわざ動画まで作って対抗宣伝。2本の通路にはさまれた5席の真ん中は窮屈な上に乗務員から物を受け取るのも一苦労。まるで囚人だと。
 「世界初の超音速旅客機も、世界初の双発ワイドボディも、フライバイワイヤもすべてヨーロッパが先にやった」。かつて、エアバスの広報は誇らしげに言っていた。民間航空機産業は、米国が席巻したマーケットを欧州が逆転するところまで盛り返した数少ない分野だろう。ワイドボディ機は長距離航路での安全を図るためエンジンは4発だった。双発にした方が重さも空気抵抗も減る。双発ワイドボディの価値を認めない米国勢を尻目にエアバスは双発機の経済性で業績を伸ばした。
 777の場合、座席は横9席だから、2-5-2とするか、3-3-3とするかは航空会社の自由。どうして囚人席編成なんてするんだろうと疑問を口にしたら、航空関係の広報担当者が教えてくれた。満席のときは囚人席まで埋まるが、そこまで混んでいなくて、9席のうち8席が埋まることを考えたら、窓際席が不便になる3-3-3より囚人席を作った方がいい。この動画を見ると、JALの700-200ERは囚人席のない編成(中4席の3-4-2)だ。
 しかし、ボーイングが特別思い入れのある番号を与えた777が退役の時期を迎えるとは。

◆JAL777-200ER退役 記念フライト、20年の思いを込めて
https://digital.asahi.com/articles/ASR5J55X9R5DUTIL02N.html

鍛治壮一の親友に哀悼を2023年05月06日 17:09

鍛治壮一の親友に哀悼を
それまで日本のSFヒーロー番組は永劫回帰。毎回、新しい怪人、怪獣、ロボットなど敵キャラが攻めて来て撃退するの繰り返し。異星人に一度ぼろ負けして絶滅寸前の人類を救うという目的で旅をする。そんな誰も見た事がない画期的なアニメ「宇宙戦艦ヤマト」が始まり、私が「これはすごい」と興奮しているのを見て、鍛治壮一がプロデューサーに取材に行った。それが元で、壮一はおそらく生涯の親友の一人だった松本零士と出会った。極め付けの飛行機マニア・メカマニア同士。意気投合するまで一瞬だったことだろう。各種の戦闘機などに乗りまくっていた壮一が自衛隊に話を付けて戦車やら潜水艦を体験してもらい、それをイラストにするメカゾーンという企画を連載した。その番外編がアマゾン旅行だった。
ある日、萩尾望都さんに松本さんから電話がかかってきた。「イースター島かガラパゴスか。行き先はまだ決まってないが、秘境に行くんですが、いっしょに来ませんか?」。そのころにロンドンで仕事があるというと、「じゃあ、パリ集合で」。パリからコンコルドに乗って、リオデジャネイロを経由し、アマゾンやインカ帝国の首都だったクスコの遺跡、ナスカの地上絵をこの目で見る旅に。漫画家のちばてつややヤマトのメインヒロインの声優麻上洋子も同行した。
 萩尾さんが松本さんと壮一に驚いた事が2つあったという。はるか遠くから飛んでくる飛行機がまだ豆粒のように小さいのに、2人で「あれは○○だ」と機種を言い合っている。どうして分かるのか不思議がっていると、「萩尾さん。飛行機というものはどれ一つとして尾翼の形が同じ物はないんですよ」と見分けられる理由を話す。そして、ペルーなどで土産物などを売っている店に入ると、2人はいつまでたっても出てこない。一度などあまりにも遅いので、2人が店の外に出ると、乗ってきた車がいない。置き去りにして、他の人が先に帰ってしまったのだ。市場でも端から端まで店の前を何回も行ったり来たり。「男性であんなに買い物の長い人は初めて見た」とあきれたそうだ。
 化石を含んだ地層でできたテーブルがあったり、編集者などの待合室に本物のANAのビジネスシートがあったり。戦闘機の照準器が仕事机の下に転がっていたり。各種の資料類も地層のように重なっていて、必要になったら大体の年代で場所が分かるそうだ。
 絵を描くには本物を握ったときの重さや質感が重要だと言っていた。まあ、壮一の部屋も同様に(他人の目にはガラクタにしか見えない)物であふれている。しかし、松本さんは仕事に役に立っていても、壮一の場合、仕事に関係ないただの趣味だ。
 そんな松本さんが理事として設立当初から加わっていたのが、日本宇宙少年団。「未来は青少年の心の中にある」が口癖で、例えば、九州から東京まで1人で出てきたときの夜行列車が999につながっているそうだ。ケガをしたり、おぼれかかったり、そういうすべての経験が今の職業や自分自身に結びついていると。教育は企業の製品開発などと違って、なかなか成果が目に見えない。そういうことで士気が低下してしまう教育関係者もいるのだが、松本さんの講演を聴いて、またがんばろうと勇気づけられることも多かったそうだ。
 しかし、少年団が科技庁出身の理事長の無計画な経営で、用地買収までしたバブル期の宇宙のテーマパーク計画が失敗し、多額の負債で破綻の危機に。経営の経験がない松本さんは迷いながらも子どもたちの笑顔のために理事長を引き受ける。長年いっしょにやってきた職員のリストラもした。「漫画家とアシスタントはきつい締め切りを乗り切る運命共同体。デビューが決まって巣立っていくことはあっても、こちらから辞めさせた経験はないから本当につらかった」と自宅で話を聞いた。自腹で給料を払ってでも残したいと思って残した人が辞めてしまい、それだったら他の人を残せばよかったと泣きたくなるくらい後悔したり。
 長年の作品での宇宙への功績や少年団の立て直しなどが認められ、小惑星にREIJIと名前が付いた。相当に喜んでいた。作品に補給基地として登場させたり、登場人物に「先祖にゆかりの星だ」と言わせたり。
 「絵を描くために世界中のあらゆるところに行って、あらゆる物を見てきたが、地球だけはまだこの目で見たことがない。帰ってこれなくてもいいから宇宙に行きたい」と語っていたそうだ。その夢だけは果たせなかった。講演では、自分が昔立てた計画表では今頃は宇宙に行っていたはずだと。いつか子孫が本当にレイジに行ってほしいという夢が続いている。

◆F15に初めて乗った男 最後の社会部記者・鍛治壮一の書斎に眠る昭和-平成史
https://kajisoichi.hatenablog.com/

https://digital.asahi.com/articles/DA3S15630075.html

パタパタして飛ぶ飛行機はなぜNG2022年04月26日 12:01

パタパタして飛ぶ飛行機はなぜNG
生物は翼(羽)で飛ぶのに、翼(による推進力)で飛ぶ飛行機(羽ばたき飛行機 ornithopter)は何故存在しないのかと質問された。人類は長いこと、単純に鳥の真似をすれば空を飛べると信じていて、飛行機には羽ばたきが不可欠だと思い込んでいた。始めの頃は羽ばたき飛行機ばかりでことごとく失敗。航空機の歴史を特集した映像などで、ライト兄弟以前、羽ばたき飛行機の試験飛行で浮かぶ前に壊れて墜ちている動画がよく出てくる。長さの三乗に比例して重さが増えるから、昆虫や鳥サイズならいいけど、人間を乗せるほどの大きさでは羽ばたきのような可動部は強度的にNGというのは素人でも分かりそうなものだ。ドローンサイズの羽ばたき飛行機はもう登場しているようだ。検索したら、世界初の人力羽ばたき飛行機という動画があった。
◆World's First Human-Powered Ornithopter
https://youtu.be/0E77j1imdhQ

最後の社会部記者 鍛治壮一儀2022年03月19日 14:19

最後の社会部記者 鍛治壮一儀
 弔電・供花、また生前に亡父と面識のあった方々から丁重なおくやみの言葉をいただきありがとうございました。喪主のみさ子に代わってお礼申し上げます。
 壮一は毎日新聞での29年3カ月のほとんどを東京社会部の記者として過ごし、新人1年目の札幌から戻って以来、定年まで東京本社勤務でした。生涯に10回ぐらいは転勤するのが当然の全国紙記者としては非常に異例でしょう。以前は編集委員室なる居城があったのですが、防衛庁記者クラブに常駐するなど普通に兵隊の頭数となる各部所属の編集委員という今では当たり前の制度も彼が初だったと聞いています。

 ◆日本の民間人初のF15搭乗、松本零士らとアマゾン探検、ビートルズ武道館公演取材・・・。楽しそうな事ばかり目立ったが

 1978年当時、航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)に決まっていたF-15イーグルへの搭乗を防衛庁に断られました。ペンタゴンに直談判し、セントルイスのマグダネル・ダグラス社に出張して日本の民間人で初めてF-15搭乗記を書いたり。普通は見られない自衛隊の戦車、潜水艦、各装備などの見学に漫画家・松本零士を連れ回して、イラストを描いてもらう連載を企画したり。ちばてつやらも巻き込んで同行取材でアマゾンを探検したり。そのときは松本さんがコンコルドに乗りたいと言ったので、パリからエールフランスのコンコルドでリオデジャネイロ入りしたり。66年のビートルズ最初で最後の日本公演に、突発警戒要員として社会部からただ1人武道館に入ったり。
 同僚、後輩記者からも「鍛治さんほど幸せな記者はいない」と言われてました。新聞記者としてあれほど楽しく充実した人生を歩んだ者はほかにいないかもしれません。
しかし、今回、大学の写真サークルの後輩という方から聞いたのですが、「趣味のような仕事ばかりしていたように思われてるかもしれないが、自分は社会部記者としてやらなければならないことを他人の何倍もやって、その上で、やりたいこともやっていたんだから誤解しないでほしい」と言っていたそうです。

 ◆航空と軍事問題と右翼に強い社会部記者

 都下の方面回り(警視庁警察署のサツ回り)ももちろんやってます。DC3下田沖事故、B727東京湾事故など航空関連だけではありません。「組織暴力の実態」という長期連載の取材班では大物総会屋・上森子鉄に食い込みました。歴代でも有名な当時の日銀総裁が都市銀行の総会対策担当だった時に企業幹部と総会屋を交えた手打ちの場に同席していたという情報を得ました。先輩の経済部金融担当記者の総裁面会にくっついて行き、本人に突きつけ、認めさせたのですが、ある理由で没。「せっかくの特ダネを横やりで没にされて悔しくなかったのか」と問うたら、この一件で「社会部の若手にすごい奴がいる」と編集局中に認知されたので自分としては満足だったとの答。
 71年のANAと自衛隊の戦闘機が衝突した雫石事故では現地の記者が抜かれてばかりいると後から投入されました。草刈りがすっかり終わっていてネタなど落ちてないはずの現場でしたが、墜落した戦闘機の残骸から機銃が持ち去られているという特ダネを書きました。

 ◆「塩だ、塩をくれ」 江守徹が覚えていた叫び

 72年、グアム島で横井庄一伍長発見の際は、社会部のサブデスク(方面回りから上がってくる情報や記事を統括し、デスクワークと指示をする役割だそうです)でほぼ連日午前3時過ぎに帰宅していました。現地入りを命じられたが長期出張できるような職責ではないので断ったら「ほかにパスポートを持ってる記者がいない」とのひどい理由で説得されたそうです。後年、俳優の江守徹を取材した際、初対面の江守さんに1面に書いた特派員電を覚えていると言われたそうです。「塩だ。塩をくれ」という横井さんの第一声が印象的だったと。自分を「捕まえ」に来たのが日本人だと認識した横井さんの叫びです。現地で本人会見が始まる前、「間に合った」と弛緩している他社を尻目に、領事などに当たって取った特ダネです。江守さんは当時、「ナチスに閉じ込められ、仲間の死体を食べて生きのびた兵士の独白」という一人芝居に挑んでいたので、本当に横井さんの記事を読んで覚えていたのかもしれません。

 ◆「他社をヘリから蹴落とした」サンデーデスクと朝日に譲った心優しき後輩

 横井さんから2年後、最後の日本兵・小野田寛郎少尉がフィリピン・ルバング島で「救出」されました。このときは、20代で所属してから定年までにただ一度だけ東京社会部を離れてサンデー毎日のデスクをしていました。詳細は略しますが、正義感で編集局の方針に真っ向から逆らったのが原因でした。デスクローテで4週に1回メイン特集を作らなければならないのに現地に派遣。本人の待つレーダーサイトに向かう軍用ヘリには地元と日本の記者が殺到。「鍛治記者は他社をヘリから蹴落とした」と噂されましたがもちろんそこまではやってません。定員10人ほどのヘリで最初に臨場した中に朝日の記者も毎日社会部の記者もいませんでした。だいぶ遅れて何とか間に合った軍用トラックには実は毎日の社会部記者が席を確保していたのですが、朝日の記者から「毎日は鍛治さんが先に行っているから替わってくれ」と頼まれ譲ってしまったそうです。ライバルに塩を送る優しい後輩のおかげで、編集局員でないどころか、幹部から「俺の目の黒いうちは社会部には絶対戻さない」と言われた週刊誌デスクが夕刊の1面、2面、社面の現地部分すべてをマニラのホテルから勧進帳(原稿もなしに頭の中にある記事を電話で送ること。能の「安宅の関」の弁慶の逸話にちなむ記者用語)で送ることになりました。「ウソ800というが、後で数えたら下書きもなしで吹き込んだ記事は800行だった」そうです。普通なら特派員のクレジット(署名)が入りますが、「サンデー毎日編集次長 鍛治壮一」とするわけにはいかず、社会部取材班でもなく、「本社特派員団」となりました。
 返還前のまだ日本ではなかった沖縄に長期出張することもしょっちゅうでした。沖縄返還に関わる問題の一つに米軍基地に配備されていた核ミサイルがあります。非核三原則に基づき核抜き返還が日米交渉の課題になっていました。今でも本当に撤去した証拠があるのかなどと書く評論家がいますが、壮一は基地でミサイルの先端から核弾頭を取り外している作業の写真を撮りました。敷地外からとはいえ、その場でばれたら相当まずい盗撮です。常々、筑紫哲也記者に「ぼくは沖縄にずっと住んでるのに鍛治さんはたまに来て特ダネを書いていくからずるいよ」と言われていたそうです。

 ◆重病の証人に向かって「本当に悪そうですね」 スパイカメラで隠し撮り

 ロッキード事件では、航空と防衛(そして右翼・総会屋)に強い編集委員兼デスクとして取材班に入りました。ロッキード児玉ルートのフィクサー児玉誉士夫の通訳だった福田太郎氏に病室で独占取材。しかも、ミノックスのスパイカメラで酸素マスクを付けた生々しい姿を隠し撮りしました。写真をすぐに載せると盗撮がばれてしまうので、インタビューには付けず、後日載せました。趣味で個人的に各種のカメラを持っていたのですが、これが契機となって写真部にスパイカメラが導入されたそうです。「カメラの性能でスクープ写真が撮れるわけではない」と笑ってました。なお、福田氏に秘密裏に会う際、この手の疑獄事件でよくある偽装面会謝絶だと思い込んでいて、思いの外ひどい顔色と苦しそうな呼吸を見て、ついうっかり「本当におかげんが悪そうですね」と本音をもらしてしまったそうです。
 1976年7、8月の田中角栄元首相逮捕・起訴でロッキードは終息します。壮一は取材班解散の打ち上げにも、「毎日新聞ロッキード取材全行動」の執筆にも加わってません。9月に起きたソ連ミグ25戦闘爆撃機の函館強行着陸、ソ連軍現役中尉亡命事件の現地取材に連続投入されていたからです。

 ◆定年退職後も他社を出し抜き名古屋空港中華航空機事故の原因をスクープ

 55歳で定年退職する前から、世界、中央公論、航空雑誌などに執筆し、定年後は航空評論家としてテレビ出演していました。
1994年の名古屋空港中華航空エアバス機事故では、事故原因をスクープし、それを手土産にテレビ朝日の夕方の番組で解説しました。現役時代から知り合いだったライバル新聞社の担当デスクがその放送を見て電話をかけてきました。
「テレ朝の記者があのネタを取れると思う?」と言ったら、自宅に飛んできて、資料の一切合切、事故原因の説明図をイラスト化するため自ら書いた下絵に至るまで持っていったそうです。なのに、識者談話は別な人を使い、紙面では一切触れなかったので「信義にもとる」と腹を立てていましたが。このときは各社の担当記者のように事故調からネタを取ったというより、データを元に調査関係者といっしょになって事故原因を考えたといった方が近いものでした。退職しても記者であることに代わりはないから、もちろん、事故調関係者の誰がネタ元だったのかは家族も含め誰にも言ってません。
 今後、ロッキードや雫石事故といった昭和史に関わる企画を担当する人もいるでしょうが、彼の書いた物や集めた資料が役立つ場面もあると思うので何かあれば声をかけてください。
 最後に書いた新聞記事は83歳だった2014年1月。小野田寛郎元少尉(91)が亡くなった時の毎日の追悼記事でした。おそらく最後までただの社会部記者のつもりで、充実した人生だったと思います。

海自飛行艇をタクシー代わりにした男2022年02月03日 12:06

海自飛行艇をタクシー扱いした男
 政治信条の問題以前に「自分は政界のドブのようなしがらみとは無縁な人間だ」風にカッコ付けてるクセに何か問題が起きると見苦しい言い逃れをするところが、人としてダメだと思う。豊洲の盛り土の時も知事主導の最重要案件だったにもかかわらず、「副知事に任せていたから自分は知らない」などと責任者としてあり得ない言い訳をしていたが。
 40年前、まだ40代だった石原慎太郎衆議院議員が小笠原の島で遊んでいるとき、都内(島も都ですが)で裕次郎が倒れた。島から裕次郎の元に駆けつける手段がないため、慎太郎議員は海上自衛隊の飛行艇を呼びつけ、帰った。12人で運用する巨大な飛行艇で、タクシー代わりどころか大型バス。訓練名目にしたのだろうが、往復の燃料代は100万円以上もかかる。これが逆に、島で急病人が出て、本土の病院に搬送するためであれば迷うことなく出動するだろう。だが、慎太郎が帰らなくたって裕次郎の容体には関係ない。
 当然、非難を受けたが、その会見で、「秘書が防衛庁に電話したが話がよく通じないので自分が電話を替わって状況を説明したら、向こうが勝手に飛ばしてくれただけで、自分から迎えに来てほしいと頼んだわけではない」といった潔くない言い訳をした。いつも格好つけてエラそうなことを言うのに逃げ口上が見苦しい。素直に「気が動転してました」と謝れば、国民も「裕次郎が倒れたんじゃしょうがないか」と大目に見てくれるだろうに。若手の時からそんな人物だった。

衝動買い2021年05月23日 12:56

衝動買い
戦車、戦闘機など真剣な匠だったタミヤ、ハセガワに比べ、アオシマは子ども向けなイメージがあったが。

◆2号が飛ぶのはシャトルと同じ理屈 サンダーバード秘密基地を組み立て
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/03/02/9219938

◆1号が主役でないのナゼと訊くオバカ役タレント サンダーバード秘密基地を組み立て
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/02/24/9217181

◆ヤシの木も倒れる? Tracy Islandサンダーバード秘密基地を組み立てるだけの部屋
https://tracy-island.hatenablog.com/

安全保障とか言うなら軍事常識を勉強せえ 沖縄に海兵隊は無意味2021年04月09日 13:57

 辺野古移転にネガティブなニュースがあると、「中国が攻めてきたらどうするんだ」とか宣うネトウヨもどきな方々と話すことがある。軍備は一切許さないとかいう平和主義者なら軍事の基礎に疎くても構わないが、「日本の安全保障とか言うなら、もっと勉強しろ」と小一時間説教したい。彼らは、普天間にいるのが海兵隊だということも、海兵隊とは何をする軍隊なのかも理解していないのでは。海兵隊とは、海軍などの艦船に乗って移動する陸上戦闘兵力。その主な任務は、島嶼など海岸から侵攻するのに適した戦闘地域に上陸し、制圧すること。陸海軍との線引きがあいまいで、歴史上、何度も統廃合圧力などによって存続が危ぶまれた組織だ。それでも、第二次大戦では、日本軍が占領した東南アジアの島々を奪還する戦闘で大活躍した。しかし、その後の戦争において、海兵隊と陸軍の出番はみるみる減っていく。湾岸戦争、イラク戦争に象徴されるように、現代戦では、ステルス攻撃機や無人爆撃機で敵基地の反撃能力を完全に破壊してから占領するというのが新たな定石。沖縄戦では20万人近い民間人が犠牲になったが、米軍も2万人の犠牲を出した。これは日本軍側と同じか下手したら上回るぐらい。あれほどの物量差があっても、上陸作戦というのは極めてハイリスク、非効率な戦闘行為なのだ。現在だったら、仮に沖縄戦の100分の1でも米軍に犠牲が出たら政権が倒れるだろう。
 普天間や辺野古に駐留する海兵隊が、北朝鮮か中国かロシアかどこかの領土に上陸を敢行するという事態は戦略的にも戦術的にもほぼあり得ない。普天間にせよ、辺野古にせよ、海兵隊が出動するにはまずオスプレイで長崎の佐世保基地に飛び、海軍の強襲揚陸艦に乗り換えなければならない。さらに、そこから北朝鮮などの敵地まで船でどれぐらいかかるのか。着いた頃には日本各地の米軍基地から飛び立った空軍の攻撃機が制圧して戦争は終わってるだろう。もし長引いて制圧し切れてない状態で、上陸作戦に移るのは自殺行為。
 現代戦の主役は、敵地周辺の友好国の空港に集結させた空軍機と、移動航空基地である空母を中心とした海軍航空兵力。だから、嘉手納など各空軍基地や空母ロナルド・レーガンの母港横須賀基地、そして、空母の艦載機を降ろすための基地*は、日本の安全保障上もアメリカのアジア戦略上も意味がある。しかし、普天間にせよ、辺野古にせよ、沖縄に海兵隊を置いておくことは、アメリカの世界戦力上も日本の国防上も意味がない。
 さて、佐世保にいる在日米軍の強襲揚陸艦に海兵隊の垂直離着陸ステルス攻撃機F35Bを搭載して、軽空母にし、アジアの海をパトロールさせようという計画がある。海自の護衛艦いずも空母化計画の先駆けだ。これは非常に役に立つ。でも、これって、海兵隊ではなく、第2海軍、文字どおり海軍の2軍戦力扱い。だったら、F35Bのパイロットだけいればよく、食料と燃料を食い、揚陸艦の足を遅くする海兵隊員は載ってない方がいいのでは。ますます沖縄に海兵隊基地がある理由がなくなる。ちなみに、F35Bは岩国にいるので辺野古は必要ない。
 海兵隊のトップや在日米軍司令官が辺野古は必要だと発言していると反論されたが、ばかばかしい。「NETFLIXがあるからこれからはテレビ放映は必要ないですよね」と質問されたテレビ局の社長が「そうですね」と言うはずがないぐらい当たり前のこと。常に存在意義が問われている海兵隊の責任者が自ら必要ないと言うわけない。実際、鳩山政権の時、アメリカ政府は普天間の機能をグアムまで戻す案を真剣に検討し、日本の官僚が「日本政府に引き上げてもいいとは言わないでくれ」と頼んだことが後でばれた。沖縄に置いているのは世界の駐留米軍では破格の思いやり予算を日本が払ってくれてるからで、それがなくなったら、直ちに引き上げるだろう。そうは言っても、駐留経費はバカにならないから、費用対効果を考えたら引き上げるべきと考えている国防省幹部はいくらでもいる。逆に、そこまでして、自民党政権がどうしても残ってほしい理由がよく分からない。もちろん経済的な理由だろうが、それほどの利権とは思えないのだが。

*注 寄港している空母は必ず艦載機を最寄りの空港がある基地に置く。艦載機を積み込んだまま停泊中に攻撃を受けたら、発進できずに空母もろとも沈められてしまう。沈めなくたって、甲板の発進カタパルトを使えなくしてしまえば、ただの役立たず。空母は移動航空基地で、それ自体には防御力も攻撃力もほとんどない。だから、イージス艦を含むミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦数隻と、攻撃型原子力潜水艦、補給艦と空母打撃群を編成し、守られながら行動する。

◆「辺野古、完成の可能性低い」 米有力シンクタンク報告
https://digital.asahi.com/articles/ASP3M4K3JP33TPOB004.html

ホンダに無断で良いの? NETFLIXアニメHERO MASK2020年10月06日 09:22

ホンダに無断で良いの? NETFLIXアニメHERO MASK
スタジオぴえろがオリジナルで作り、NETFLIXで配信しているアニメの最終回。違法な手段で会社を発展させ、私兵を使って口封じや証拠隠滅までしてきたCEOが、最後に単独で国外逃亡を試みる。で、使ってるのがどう見てもホンダジェット。しかも、エンジンに仕掛けられた破壊工作で火を噴き、海上に墜落死する。
 クレジットを見たが、どこにも協力とかSpecial Thanks to Honda Aircraft Companyとか書いてない。エンジンの外側にあるはずの赤いHONDAのロゴがないという事はおそらく無許可。これ良いんだろうか?
 アニメのデザイン担当、作画担当は必ずしもメカに詳しいとは限らない。リサーチャーが集めてきた資料を見てデザインしたりする。HONDAの社名ロゴはないが、ホンダジェットの動画や写真を見て、フォルムからカラーリングに至るまで丸写しにしたとしか思えない。金持ち社長が使うビジネスジェットにはいろいろなメーカーがあるが、あの特殊なデザインは特許があってホンダジェットでしかない事を知らなかったのではないか。せめて、セスナのサイテーションと混ぜるとかすればいいのに。後、色や模様を変えるとか。

1号発射台スロープに壁面を取り付け サンダーバード秘密基地を組み立て2020年06月16日 00:11

1号発射台スロープに壁面を取り付け サンダーバード秘密基地を組み立て
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ヤシの木も倒れる? Tracy Islandサンダーバード秘密基地を組み立てるだけの部屋
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