パタパタして飛ぶ飛行機はなぜNG2022年04月26日 12:01

パタパタして飛ぶ飛行機はなぜNG
生物は翼(羽)で飛ぶのに、翼(による推進力)で飛ぶ飛行機(羽ばたき飛行機 ornithopter)は何故存在しないのかと質問された。人類は長いこと、単純に鳥の真似をすれば空を飛べると信じていて、飛行機には羽ばたきが不可欠だと思い込んでいた。始めの頃は羽ばたき飛行機ばかりでことごとく失敗。航空機の歴史を特集した映像などで、ライト兄弟以前、羽ばたき飛行機の試験飛行で浮かぶ前に壊れて墜ちている動画がよく出てくる。長さの三乗に比例して重さが増えるから、昆虫や鳥サイズならいいけど、人間を乗せるほどの大きさでは羽ばたきのような可動部は強度的にNGというのは素人でも分かりそうなものだ。ドローンサイズの羽ばたき飛行機はもう登場しているようだ。検索したら、世界初の人力羽ばたき飛行機という動画があった。
◆World's First Human-Powered Ornithopter
https://youtu.be/0E77j1imdhQ

最後の社会部記者 鍛治壮一儀2022年03月19日 14:19

最後の社会部記者 鍛治壮一儀
 弔電・供花、また生前に亡父と面識のあった方々から丁重なおくやみの言葉をいただきありがとうございました。喪主のみさ子に代わってお礼申し上げます。
 壮一は毎日新聞での29年3カ月のほとんどを東京社会部の記者として過ごし、新人1年目の札幌から戻って以来、定年まで東京本社勤務でした。生涯に10回ぐらいは転勤するのが当然の全国紙記者としては非常に異例でしょう。以前は編集委員室なる居城があったのですが、防衛庁記者クラブに常駐するなど普通に兵隊の頭数となる各部所属の編集委員という今では当たり前の制度も彼が初だったと聞いています。

 ◆日本の民間人初のF15搭乗、松本零士らとアマゾン探検、ビートルズ武道館公演取材・・・。楽しそうな事ばかり目立ったが

 1978年当時、航空自衛隊の次期主力戦闘機(FX)に決まっていたF-15イーグルへの搭乗を防衛庁に断られました。ペンタゴンに直談判し、セントルイスのマグダネル・ダグラス社に出張して日本の民間人で初めてF-15搭乗記を書いたり。普通は見られない自衛隊の戦車、潜水艦、各装備などの見学に漫画家・松本零士を連れ回して、イラストを描いてもらう連載を企画したり。ちばてつやらも巻き込んで同行取材でアマゾンを探検したり。そのときは松本さんがコンコルドに乗りたいと言ったので、パリからエールフランスのコンコルドでリオデジャネイロ入りしたり。66年のビートルズ最初で最後の日本公演に、突発警戒要員として社会部からただ1人武道館に入ったり。
 同僚、後輩記者からも「鍛治さんほど幸せな記者はいない」と言われてました。新聞記者としてあれほど楽しく充実した人生を歩んだ者はほかにいないかもしれません。
しかし、今回、大学の写真サークルの後輩という方から聞いたのですが、「趣味のような仕事ばかりしていたように思われてるかもしれないが、自分は社会部記者としてやらなければならないことを他人の何倍もやって、その上で、やりたいこともやっていたんだから誤解しないでほしい」と言っていたそうです。

 ◆航空と軍事問題と右翼に強い社会部記者

 都下の方面回り(警視庁警察署のサツ回り)ももちろんやってます。DC3下田沖事故、B727東京湾事故など航空関連だけではありません。「組織暴力の実態」という長期連載の取材班では大物総会屋・上森子鉄に食い込みました。歴代でも有名な当時の日銀総裁が都市銀行の総会対策担当だった時に企業幹部と総会屋を交えた手打ちの場に同席していたという情報を得ました。先輩の経済部金融担当記者の総裁面会にくっついて行き、本人に突きつけ、認めさせたのですが、ある理由で没。「せっかくの特ダネを横やりで没にされて悔しくなかったのか」と問うたら、この一件で「社会部の若手にすごい奴がいる」と編集局中に認知されたので自分としては満足だったとの答。
 71年のANAと自衛隊の戦闘機が衝突した雫石事故では現地の記者が抜かれてばかりいると後から投入されました。草刈りがすっかり終わっていてネタなど落ちてないはずの現場でしたが、墜落した戦闘機の残骸から機銃が持ち去られているという特ダネを書きました。

 ◆「塩だ、塩をくれ」 江守徹が覚えていた叫び

 72年、グアム島で横井庄一伍長発見の際は、社会部のサブデスク(方面回りから上がってくる情報や記事を統括し、デスクワークと指示をする役割だそうです)でほぼ連日午前3時過ぎに帰宅していました。現地入りを命じられたが長期出張できるような職責ではないので断ったら「ほかにパスポートを持ってる記者がいない」とのひどい理由で説得されたそうです。後年、俳優の江守徹を取材した際、初対面の江守さんに1面に書いた特派員電を覚えていると言われたそうです。「塩だ。塩をくれ」という横井さんの第一声が印象的だったと。自分を「捕まえ」に来たのが日本人だと認識した横井さんの叫びです。現地で本人会見が始まる前、「間に合った」と弛緩している他社を尻目に、領事などに当たって取った特ダネです。江守さんは当時、「ナチスに閉じ込められ、仲間の死体を食べて生きのびた兵士の独白」という一人芝居に挑んでいたので、本当に横井さんの記事を読んで覚えていたのかもしれません。

 ◆「他社をヘリから蹴落とした」サンデーデスクと朝日に譲った心優しき後輩

 横井さんから2年後、最後の日本兵・小野田寛郎少尉がフィリピン・ルバング島で「救出」されました。このときは、20代で所属してから定年までにただ一度だけ東京社会部を離れてサンデー毎日のデスクをしていました。詳細は略しますが、正義感で編集局の方針に真っ向から逆らったのが原因でした。デスクローテで4週に1回メイン特集を作らなければならないのに現地に派遣。本人の待つレーダーサイトに向かう軍用ヘリには地元と日本の記者が殺到。「鍛治記者は他社をヘリから蹴落とした」と噂されましたがもちろんそこまではやってません。定員10人ほどのヘリで最初に臨場した中に朝日の記者も毎日社会部の記者もいませんでした。だいぶ遅れて何とか間に合った軍用トラックには実は毎日の社会部記者が席を確保していたのですが、朝日の記者から「毎日は鍛治さんが先に行っているから替わってくれ」と頼まれ譲ってしまったそうです。ライバルに塩を送る優しい後輩のおかげで、編集局員でないどころか、幹部から「俺の目の黒いうちは社会部には絶対戻さない」と言われた週刊誌デスクが夕刊の1面、2面、社面の現地部分すべてをマニラのホテルから勧進帳(原稿もなしに頭の中にある記事を電話で送ること。能の「安宅の関」の弁慶の逸話にちなむ記者用語)で送ることになりました。「ウソ800というが、後で数えたら下書きもなしで吹き込んだ記事は800行だった」そうです。普通なら特派員のクレジット(署名)が入りますが、「サンデー毎日編集次長 鍛治壮一」とするわけにはいかず、社会部取材班でもなく、「本社特派員団」となりました。
 返還前のまだ日本ではなかった沖縄に長期出張することもしょっちゅうでした。沖縄返還に関わる問題の一つに米軍基地に配備されていた核ミサイルがあります。非核三原則に基づき核抜き返還が日米交渉の課題になっていました。今でも本当に撤去した証拠があるのかなどと書く評論家がいますが、壮一は基地でミサイルの先端から核弾頭を取り外している作業の写真を撮りました。敷地外からとはいえ、その場でばれたら相当まずい盗撮です。常々、筑紫哲也記者に「ぼくは沖縄にずっと住んでるのに鍛治さんはたまに来て特ダネを書いていくからずるいよ」と言われていたそうです。

 ◆重病の証人に向かって「本当に悪そうですね」 スパイカメラで隠し撮り

 ロッキード事件では、航空と防衛(そして右翼・総会屋)に強い編集委員兼デスクとして取材班に入りました。ロッキード児玉ルートのフィクサー児玉誉士夫の通訳だった福田太郎氏に病室で独占取材。しかも、ミノックスのスパイカメラで酸素マスクを付けた生々しい姿を隠し撮りしました。写真をすぐに載せると盗撮がばれてしまうので、インタビューには付けず、後日載せました。趣味で個人的に各種のカメラを持っていたのですが、これが契機となって写真部にスパイカメラが導入されたそうです。「カメラの性能でスクープ写真が撮れるわけではない」と笑ってました。なお、福田氏に秘密裏に会う際、この手の疑獄事件でよくある偽装面会謝絶だと思い込んでいて、思いの外ひどい顔色と苦しそうな呼吸を見て、ついうっかり「本当におかげんが悪そうですね」と本音をもらしてしまったそうです。
 1976年7、8月の田中角栄元首相逮捕・起訴でロッキードは終息します。壮一は取材班解散の打ち上げにも、「毎日新聞ロッキード取材全行動」の執筆にも加わってません。9月に起きたソ連ミグ25戦闘爆撃機の函館強行着陸、ソ連軍現役中尉亡命事件の現地取材に連続投入されていたからです。

 ◆定年退職後も他社を出し抜き名古屋空港中華航空機事故の原因をスクープ

 55歳で定年退職する前から、世界、中央公論、航空雑誌などに執筆し、定年後は航空評論家としてテレビ出演していました。
1994年の名古屋空港中華航空エアバス機事故では、事故原因をスクープし、それを手土産にテレビ朝日の夕方の番組で解説しました。現役時代から知り合いだったライバル新聞社の担当デスクがその放送を見て電話をかけてきました。
「テレ朝の記者があのネタを取れると思う?」と言ったら、自宅に飛んできて、資料の一切合切、事故原因の説明図をイラスト化するため自ら書いた下絵に至るまで持っていったそうです。なのに、識者談話は別な人を使い、紙面では一切触れなかったので「信義にもとる」と腹を立てていましたが。このときは各社の担当記者のように事故調からネタを取ったというより、データを元に調査関係者といっしょになって事故原因を考えたといった方が近いものでした。退職しても記者であることに代わりはないから、もちろん、事故調関係者の誰がネタ元だったのかは家族も含め誰にも言ってません。
 今後、ロッキードや雫石事故といった昭和史に関わる企画を担当する人もいるでしょうが、彼の書いた物や集めた資料が役立つ場面もあると思うので何かあれば声をかけてください。
 最後に書いた新聞記事は83歳だった2014年1月。小野田寛郎元少尉(91)が亡くなった時の毎日の追悼記事でした。おそらく最後までただの社会部記者のつもりで、充実した人生だったと思います。

海自飛行艇をタクシー代わりにした男2022年02月03日 12:06

海自飛行艇をタクシー扱いした男
 政治信条の問題以前に「自分は政界のドブのようなしがらみとは無縁な人間だ」風にカッコ付けてるクセに何か問題が起きると見苦しい言い逃れをするところが、人としてダメだと思う。豊洲の盛り土の時も知事主導の最重要案件だったにもかかわらず、「副知事に任せていたから自分は知らない」などと責任者としてあり得ない言い訳をしていたが。
 40年前、まだ40代だった石原慎太郎衆議院議員が小笠原の島で遊んでいるとき、都内(島も都ですが)で裕次郎が倒れた。島から裕次郎の元に駆けつける手段がないため、慎太郎議員は海上自衛隊の飛行艇を呼びつけ、帰った。12人で運用する巨大な飛行艇で、タクシー代わりどころか大型バス。訓練名目にしたのだろうが、往復の燃料代は100万円以上もかかる。これが逆に、島で急病人が出て、本土の病院に搬送するためであれば迷うことなく出動するだろう。だが、慎太郎が帰らなくたって裕次郎の容体には関係ない。
 当然、非難を受けたが、その会見で、「秘書が防衛庁に電話したが話がよく通じないので自分が電話を替わって状況を説明したら、向こうが勝手に飛ばしてくれただけで、自分から迎えに来てほしいと頼んだわけではない」といった潔くない言い訳をした。いつも格好つけてエラそうなことを言うのに逃げ口上が見苦しい。素直に「気が動転してました」と謝れば、国民も「裕次郎が倒れたんじゃしょうがないか」と大目に見てくれるだろうに。若手の時からそんな人物だった。

衝動買い2021年05月23日 12:56

衝動買い
戦車、戦闘機など真剣な匠だったタミヤ、ハセガワに比べ、アオシマは子ども向けなイメージがあったが。

◆2号が飛ぶのはシャトルと同じ理屈 サンダーバード秘密基地を組み立て
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/03/02/9219938

◆1号が主役でないのナゼと訊くオバカ役タレント サンダーバード秘密基地を組み立て
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/02/24/9217181

◆ヤシの木も倒れる? Tracy Islandサンダーバード秘密基地を組み立てるだけの部屋
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安全保障とか言うなら軍事常識を勉強せえ 沖縄に海兵隊は無意味2021年04月09日 13:57

 辺野古移転にネガティブなニュースがあると、「中国が攻めてきたらどうするんだ」とか宣うネトウヨもどきな方々と話すことがある。軍備は一切許さないとかいう平和主義者なら軍事の基礎に疎くても構わないが、「日本の安全保障とか言うなら、もっと勉強しろ」と小一時間説教したい。彼らは、普天間にいるのが海兵隊だということも、海兵隊とは何をする軍隊なのかも理解していないのでは。海兵隊とは、海軍などの艦船に乗って移動する陸上戦闘兵力。その主な任務は、島嶼など海岸から侵攻するのに適した戦闘地域に上陸し、制圧すること。陸海軍との線引きがあいまいで、歴史上、何度も統廃合圧力などによって存続が危ぶまれた組織だ。それでも、第二次大戦では、日本軍が占領した東南アジアの島々を奪還する戦闘で大活躍した。しかし、その後の戦争において、海兵隊と陸軍の出番はみるみる減っていく。湾岸戦争、イラク戦争に象徴されるように、現代戦では、ステルス攻撃機や無人爆撃機で敵基地の反撃能力を完全に破壊してから占領するというのが新たな定石。沖縄戦では20万人近い民間人が犠牲になったが、米軍も2万人の犠牲を出した。これは日本軍側と同じか下手したら上回るぐらい。あれほどの物量差があっても、上陸作戦というのは極めてハイリスク、非効率な戦闘行為なのだ。現在だったら、仮に沖縄戦の100分の1でも米軍に犠牲が出たら政権が倒れるだろう。
 普天間や辺野古に駐留する海兵隊が、北朝鮮か中国かロシアかどこかの領土に上陸を敢行するという事態は戦略的にも戦術的にもほぼあり得ない。普天間にせよ、辺野古にせよ、海兵隊が出動するにはまずオスプレイで長崎の佐世保基地に飛び、海軍の強襲揚陸艦に乗り換えなければならない。さらに、そこから北朝鮮などの敵地まで船でどれぐらいかかるのか。着いた頃には日本各地の米軍基地から飛び立った空軍の攻撃機が制圧して戦争は終わってるだろう。もし長引いて制圧し切れてない状態で、上陸作戦に移るのは自殺行為。
 現代戦の主役は、敵地周辺の友好国の空港に集結させた空軍機と、移動航空基地である空母を中心とした海軍航空兵力。だから、嘉手納など各空軍基地や空母ロナルド・レーガンの母港横須賀基地、そして、空母の艦載機を降ろすための基地*は、日本の安全保障上もアメリカのアジア戦略上も意味がある。しかし、普天間にせよ、辺野古にせよ、沖縄に海兵隊を置いておくことは、アメリカの世界戦力上も日本の国防上も意味がない。
 さて、佐世保にいる在日米軍の強襲揚陸艦に海兵隊の垂直離着陸ステルス攻撃機F35Bを搭載して、軽空母にし、アジアの海をパトロールさせようという計画がある。海自の護衛艦いずも空母化計画の先駆けだ。これは非常に役に立つ。でも、これって、海兵隊ではなく、第2海軍、文字どおり海軍の2軍戦力扱い。だったら、F35Bのパイロットだけいればよく、食料と燃料を食い、揚陸艦の足を遅くする海兵隊員は載ってない方がいいのでは。ますます沖縄に海兵隊基地がある理由がなくなる。ちなみに、F35Bは岩国にいるので辺野古は必要ない。
 海兵隊のトップや在日米軍司令官が辺野古は必要だと発言していると反論されたが、ばかばかしい。「NETFLIXがあるからこれからはテレビ放映は必要ないですよね」と質問されたテレビ局の社長が「そうですね」と言うはずがないぐらい当たり前のこと。常に存在意義が問われている海兵隊の責任者が自ら必要ないと言うわけない。実際、鳩山政権の時、アメリカ政府は普天間の機能をグアムまで戻す案を真剣に検討し、日本の官僚が「日本政府に引き上げてもいいとは言わないでくれ」と頼んだことが後でばれた。沖縄に置いているのは世界の駐留米軍では破格の思いやり予算を日本が払ってくれてるからで、それがなくなったら、直ちに引き上げるだろう。そうは言っても、駐留経費はバカにならないから、費用対効果を考えたら引き上げるべきと考えている国防省幹部はいくらでもいる。逆に、そこまでして、自民党政権がどうしても残ってほしい理由がよく分からない。もちろん経済的な理由だろうが、それほどの利権とは思えないのだが。

*注 寄港している空母は必ず艦載機を最寄りの空港がある基地に置く。艦載機を積み込んだまま停泊中に攻撃を受けたら、発進できずに空母もろとも沈められてしまう。沈めなくたって、甲板の発進カタパルトを使えなくしてしまえば、ただの役立たず。空母は移動航空基地で、それ自体には防御力も攻撃力もほとんどない。だから、イージス艦を含むミサイル巡洋艦、ミサイル駆逐艦数隻と、攻撃型原子力潜水艦、補給艦と空母打撃群を編成し、守られながら行動する。

◆「辺野古、完成の可能性低い」 米有力シンクタンク報告
https://digital.asahi.com/articles/ASP3M4K3JP33TPOB004.html

ホンダに無断で良いの? NETFLIXアニメHERO MASK2020年10月06日 09:22

ホンダに無断で良いの? NETFLIXアニメHERO MASK
スタジオぴえろがオリジナルで作り、NETFLIXで配信しているアニメの最終回。違法な手段で会社を発展させ、私兵を使って口封じや証拠隠滅までしてきたCEOが、最後に単独で国外逃亡を試みる。で、使ってるのがどう見てもホンダジェット。しかも、エンジンに仕掛けられた破壊工作で火を噴き、海上に墜落死する。
 クレジットを見たが、どこにも協力とかSpecial Thanks to Honda Aircraft Companyとか書いてない。エンジンの外側にあるはずの赤いHONDAのロゴがないという事はおそらく無許可。これ良いんだろうか?
 アニメのデザイン担当、作画担当は必ずしもメカに詳しいとは限らない。リサーチャーが集めてきた資料を見てデザインしたりする。HONDAの社名ロゴはないが、ホンダジェットの動画や写真を見て、フォルムからカラーリングに至るまで丸写しにしたとしか思えない。金持ち社長が使うビジネスジェットにはいろいろなメーカーがあるが、あの特殊なデザインは特許があってホンダジェットでしかない事を知らなかったのではないか。せめて、セスナのサイテーションと混ぜるとかすればいいのに。後、色や模様を変えるとか。

1号発射台スロープに壁面を取り付け サンダーバード秘密基地を組み立て2020年06月16日 00:11

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刑事被告人を追放しない事を予言 最後の社会部記者鍛治壮一2020年06月12日 18:24

刑事被告人を追放しない事を予言 最後の社会部記者鍛治壮一
 1976年7月6日。全日空の若狭得治社長が外為法違反と偽証の疑いで逮捕された。ロッキード事件全日空ルートの贈賄容疑で逮捕できないが故の言わば別件逮捕だ。鍛治壮一はこの日の夕刊に長文の記事を書いた。全日空社員は若狭社長を殉教者(スケープゴート)とみるだろうと。政府と世論の辞任圧力の中で、全日空が若狭社長を追放しないであろう事を予見している。

“政治路線”破れた全日空
“田中金権と密着”
「手段を選ばず」日航を追う

 若狭なき全日空など考えられない--これは九千人社員の心情だけでない。六年間の”若狭全日空”をみてきた者は、みな、そう確信するのだ。社長逮捕について、少なくともいま現在、全日空社員は罪悪感を持つまい。殉教者とみるだろう。なぜか。

                       鍛治壮一記者

 若狭以前の全日空のイメージは“親方日の丸”“半官半民”の日本航空に、独力で立ち向かう、若い民間企業だった。
 二十八年創業。政府出資の日航が四発、六十五人乗り、スピード三二〇キロのDC4旅客機(*1)に対しわずか八人乗り、二百四〇キロの双発ダブ機(*2)でスタート。「羽田出発のダブにはお客が二人。ダブが離陸したあと、いきなりワーンとものすごい音をたてて日航DC4が飛び上がる。打ちのめされたやるせない気持ちだった。」と七日、逮捕された藤原らはいう。
 機種でいつも日航に一歩遅れ、やっと対等な旅客機を持つようになった四十一年、ボーイングB727の日本で最初のジェット機大事故を起こした。先発企業に追いつけ、追い越せのスローガンは、たび重なる事故とだぶって、悲社ですらあった。
 創立者美土路昌一、二代目岡崎嘉平太両社長は、その努力と、高い目標にもかかわらず、社の内外に、決して明るいイメージを与えなかった。事故が解決した後も、遭難者の遺族の前に頭を下げる二人の社長の印象は消えない。全日空を生み、育てた二人の社長は、第一に商売人でなかった。苦難の道を歩む社員に、激しい愛社精神とモラールを植えつけたれけど。
 日航の大庭常務が全日空の副社長に送り込まれ、社長となるが、「全日空の連続事故にかこつけ、佐藤首相の圧力とライバルの日航が乗り込んできた」と全日空の反感はたかまるばかり。
 昇格した若狭社長は、すべてを計算していた。運輸次官出身の“天下り重役”だった若狭が、アンチ日航、アンチ政府(佐藤内閣)の姿勢ばかりか、ただちに全日空“民族派”の象徴になったのは、この間の事情をヨミ尽くした彼の腕とカンと自信である。
 橋本運輸相(田中派)が口火を切った形の航空再編成は、がぜん、全日空有利に展開する。「国策会社日航は政府に近い」と、常に外野席から批判攻撃側に回っていた全日空は、戦術を大転換し、直接、航空行政の中核、来るべき“田中政権”に密着した。
 ゼロから出発した航空事業は再開十七年目、全日空に限らず「もうかる事業」となっていた。若狭全日空になった四十五年は、前年の実に四〇%も旅客が伸びている。世界に例もない航空繁盛時代だ。八月十一日、全日空は創業以来初めて、一日の乗客三万人突破の新記録を出すのである。
 待望の近距離チャーター便も実現したあと、若狭社長は、田中首相の訪中を控え、日中航空路に全日空参加のため全力投球する。
その競争で全日空は日航と対等にみえた。四十七年八月十一日、初の東京-上海テスト飛行は、日航と全日空合同。十六日、上海舞踏団を乗せ東京-上海直行も、日航DC8と全日空B727と一緒。例の田中・ニクソンのハワイ会談のあと九月九日、日中訪問のテレビ中継の技術者を、全日空が日航より一日早く上海経由で北京へ運んでいる。
 この前後に、ライバル日航は、ニューデリーとモスクワで二つの大事故を起こし、航空局から立ち入り検査を受け、さらに政界は朝田社長の進退問題でゆさぶりをかけた。航空行政に対して、急激に日航の発言権が弱くなったことも、若狭全日空に味方した。
 若狭社長はしばしば「目的のために手段を選ばない」といわれた。この時の全日空は、椎名式(*3)にいえば”はしゃぎすぎ”たのだ。
 社業は伸びる一方。追いつくはずの日航を、給料面では、すでに全日空が抜いてしまった。航空行政も有利に展開しつつあった。そして十月三十日「エアバスはロッキードのトライスター」と発表。
 常に機種選定でざん新、すでにロールスロイス・エンジン付きの旅客機を三機種も導入している全日空だ。児玉誉士夫や、政界とのゆ着がなくても、トライスターになった可能性は十分だった。
 しかし、若狭全日空は、権力に接近するため“暴走”した。すべてを計算しつくすような男、若狭がなぜだ。はしゃぎすぎ、でなければ、田中金権政治の体質にある。苦労して地位と栄光の座につき、カネさえ使えば、何ごとも動かせるという金権の魔力である。
 航空事業は利権に“依存”する許認可業務だ。路線をはじめ政府の許認可権は強い。そのコワサを十二分に知る若狭元運輸次官は、強引な政治家対策、運輸省対策を実行した。それを容易にしたのは、田中金権政治そのものだ。

経営陣抜けて大丈夫か安全運航

 「国際線進出の目的は、たんに経営利益だけではない。社員の士気が狙いだ」と若狭社長はいっていた。それだけに、社員のショックははかり知れなく大きい。
 航空会社の至上命令は安全の確保以外にない。
 全日空の歴史は、先発企業、日航との、怨念をこめた企業闘争、経営的に苦しむとき、大惨事を起こしてきた。
 だが、全日空は、四十六年七月の、自衛隊機と空中衝突した不幸な大惨事を別格として、四十一年の連続事故以来。運行体制を強化し、大事故はない。
 問題のエアバス・トライスターも、第三世代のジェット旅客機として、ボーイングT47ジャンボ機とともに高い安全性を誇っている。
 四十一年二月四日、ボーイング727が百三十三人の生命とともに東京湾に消えたとき、記者は羽田にいた。事故直後、「全日空ジェット機は、少しでも早く着くため危険な近道をしている」と毎日新聞が指摘した。それは、パイロットの責任でなく、会社の運行に対するポリシーの問題だった。全日空はまもなく運行方式を他社並みに改めた。今度の田中金権政治への密着は、別の“近道”だったともいえる。
 若狭全日空のトップから部長クラスまで“活動家”が、ごっそり抜けたいま、経営ばかりか安全運航まで危うくするのは、過去の全日空の歴史が証明している。また、これを幸いに、路線や発着ワクで後発企業の東亜国内航空が東急グループの力で漁夫の利を狙えば、この危機はさらに倍加する。
 危険な過当競争をセーブする航空行政が、果たして有効に機能するかどうか、きわめて疑問だ。
 いずれにしても、全日空は、この際、至上命令の安全運航に全力をそそぐべきだ。また、それしか、全日空の最大のピンチを切り抜ける道はない。
 いまや、ロッキード事件は、全日空の土台骨までゆさぶってやまない。若狭なき全日空はどうなるのか。

注記(鍛治信太郎)

*1 DC-4 米ダグラス・エアクラフト製。当時の最新鋭旅客機。
*2 ダブ機。英デ・ハビランド製DH-104ダブ。全日空の前身「日本ヘリコプター輸送株式会社」(日ペリ)の主力機。
*3 椎名式 自由民主党副総裁の椎名悦三郎を指す。田中角栄首相・総裁が金脈問題で辞任した後、三木武夫を総裁に指名する”椎名裁定”をした。だが、ロッキード事件が発覚し、三木首相が国会における真相究明に力を入れると、自民党内部で反発が起き、椎名の「はしゃぎすぎ」発言、三木おろし(退陣要求)が始まった。

1号搬送台車動作を確認 サンダーバード秘密基地を組み立て2020年06月01日 23:22

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明かされた全日空秘密文書 最後の社会部記者鍛治壮一2020年05月31日 14:19

 1972年、田中角栄首相によって中国(中華人民共和国)と国交が回復し、日本航空が中国を飛ぶようになると、台湾政府は激怒。日台路線は廃止され、日航は台湾の空から閉め出された。そんな時、全日空の若狭社長は台湾への国際定期便を申請し、世間をあっと言わせた。その駆け引きの裏には誰にも明かさなかった運輸大臣との秘密文書があった事を鍛治壮一はインタビューで明かされた。

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書けなかったこと書きたいこと
鍛治壮一
若狭得治社長の全日空(前回より続く)

◆日台路線の申請、そして取り下げ

 なぜ、100人中100人が予想だにしなかった行動に出たのか? 「私は岡崎元社長や広岡さん(朝日新聞社長で全日空取締役)から、絶対に台湾へは飛ぶな、と言われていました。しかし、私は航空会社のビジネスの問題なんです。イデオロギーじゃないんです。と申し上げて日台路線を申請したんです」
 困惑し、怒ったのは運輸省であり、外務省であり、日本政府だった。申請を却下するにしても公聴会を開くなど2、3ヶ月はかかる。それで日台路線再開が遅れれば、国内が混乱するばかりか、日中、日台の外交関係が険悪となる。
 ところが若狭会長は申請の5日後の1975年7月24日、自ら運輸省に出かけて、この申請を取り下げたのだ。
--どういうことなのか。ロッキード事件で保釈中の若狭会長に82年12月10日、霞が関ビル28階の会長室でインタビューした。あまり意味のない質問をしたあと、さりげなく、なぜ日台路線を申請し、すぐ取り下げたのか、と聞いた。

◆運輸大臣との秘密文書

「ああ、日台路線じゃ、まだ公表されてない事実があるんです」。ひと呼吸おいたあと、若狭会長は高い天井を見上げるようにして話し始めた。「木村睦男運輸大臣と確認書を交換したんです」。彼はほとんどその文書を暗記していた。確認書は問答形式だった。
 若狭-日本航空が100%出資するとはいえ、日航とは別会社に日台路線の運航をさせることは(昭和)45年の“国際定期航空は原則として日航が一元的に運航する”という閣議了解に反している。さらに、新会社が以遠権を行使すると、第二の国際線運航の航空会社になるから、日本アジア航空に以遠権を認めるべきではない。
 木村-日台路線を早期再開するための措置であるから、45年の閣議了解に反しないようにする。
 若狭-日航は日航法による国策会社であり、業務の一部を子会社に譲渡すれば日航法上も疑義がある。
 木村-その点、運輸省はとくに注意する。
 若狭-全日空は近距離国際チャーター便運航の技術と経験があり、諸外国にならって、早急近距離国際便を認められるべきである。しかるべく、必要な措置を至急にとって欲しい。
 木村-運輸省としては、できるだけ早い機会に航空の基本政策の見直しを行うことと致したい。

◆“賭け”は成功した!?

「大臣と私は自分の部分をそれぞれ声に出して読み上げました。立ち会ったのは航空局の中村太造局長です」。
この確認書は極秘とされ、その直後の記者会見でも触れられず、航空局と全日空の金庫の中に1通ずつ納められた。
「私はこれでいいと思った。まもなく、全日空が長い間、要望してきた国際定期便が実現すると思いました」
 若狭得治社長の“賭け”と“詰め”は完璧だった。少なくとも若狭社長と、ごく限られた全日空の幹部は、そう確信した。しかし、6ヶ月後、アメリカ上院外交委員会多国籍企業小委員会でロッキード事件が発覚したのだ。

 76年7月8日、若狭社長が外為法違反と偽証の疑いで逮捕された日の毎日新聞夕刊に、「全日空は若狭を見捨てない。スケープゴートとみる」という長い原稿を書いた。航空記者としての私の“権利”でもあった。
 そのとおりだった。保釈されたあとも、政府、世論の多くは、「刑事被告人が全日空の会長にいるのはおかしい。やめさせろ」と非難した。三木内閣の森山運輸相は全日空安西正道社長に強く要請したが、「株主総会が決めることです」と突っぱねた。森山大臣は怒って全日空に越権的なバツを与えた。「近距離国際チャーター便の近距離を逸脱している」と称して、東京-バンコクの運行を取り消しの挙に出た。それでも全日空の社員は屈しなかった。半官半民の日航に対する長い企業間闘争の歴史がそうさせたのだ。それどころか、ロッキード事件の直後を除いて、全日空の座席利用率は伸び続け、82年に日航の58%に対し全日空64%と逆転してしまった。
 ロッキード事件のマイナスを入れても、若狭得治が今日の全日空を築いた最重要な存在の1人であることは間違いない。

(若狭得治の項、了)

KAJI Soichi 元毎日新聞社会部編集委員