那覇市長から礼状 人間国宝の紅型寄贈 最後の社会部記者鍛治壮一2020年05月11日 01:51

那覇市長から礼状 人間国宝の紅型寄贈 最後の社会部記者鍛治壮一
今回は最近の話。専用ブログはこちら→https://kajisoichi.hatenablog.com/
 本土復帰前の沖縄に、鍛治壮一は長期出張でよく行っていた。その頃、妻のみさ子は婦人画報の特集で沖縄に紅型という染め物がある事を知り、壮一に欲しいと頼んだ。
 沖縄で知り合った紅型作家・城間栄喜さんに話すと、「白生地を本土から持って来てくだされば、染めることはできます」とのことだった。アメリカの領土だった当時の沖縄には絹の白生地がなかったそうだ。そこで、みさ子の実家に出入りしていた呉服商から生地を買い、沖縄に持って行き、染めていただいた。沖縄から送り返されてきた生地をみさ子は親友の母に仕立ててもらった。城間さんが人間国宝になる前の若い頃の作品だ。
 この着物ができた当時、沖縄はまだ外国。いまのようにひんぱんに東京に戻ってこられない。沖縄との電話はドル建ての国際電話なので、赴任中、電話をかけたことも、かかってきたこともないという。やりとりは手紙だけの寂しい思いをしていた。
 みさ子が沖縄に嫁いだ同級生への手紙で紅型の事を報告すると、「いま染料の材料になる植物が少なくなって黄色を染めるのは難しいから大切にして」とのこと。それ以後、ここぞという日にしか着ていない。
 ある時、壮一の友人がフランス政府から表彰され、勲章の授与式がフランス大使館であり、パーティーに着ていった。日本語が得意なフランスの女性から「黄色のデザインがすばらしく、美しい」とほめられ、誇らしい気持ちになった。「沖縄のビンガタというもので沖縄独特の模様です」と説明した。
 そんな思い出の大切な着物だが、沖縄で生地が手に入らなかった頃の人間国宝の作品で、染料も貴重だから、歴史博物館できちんと保管してほしいと、寄贈を決心した。

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