残る老舗3店 「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(4) ― 2025年05月24日 12:51
東京に100年以上も前から根付いている大阪寿司は、もはや絶滅寸前だ。
サバイバルが確認できたのは次の3店だけ。
人形町志乃多寿司總本店
明治10年(1877年)創業の大阪寿司の専門店。創業者がいなり寿司に志乃多と名付け売り出したのが始まり。なお、お品書きの紙には上方寿司と書いてある。茶巾は錦紙卵も酢飯も全体的に甘さ抑えめ。
神田志乃多寿司
明治35年(1902年)創業。人形町からののれん分けとされる。本店地下にある静智庵で大阪寿司を食べることもできる。
八千穂寿司
昭和47年(1972年)、神田志乃多寿司で修行した初代が巣鴨で開業。現在は九段北にある。茶巾は錦紙卵がやや厚ぼったい。
なお、神田からさらに浅草や四谷にのれん分けがあるが、志乃多とかんぴょう巻き専門で大阪寿司ではないようだ。
◆インド名物はインドカレーと言われたような違和感 「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(1)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/19/9776452
◆大阪のお寿司との違いは? 「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(2)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/21/9777055
◆いつから使われ出した?「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(3)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/23/9777235
サバイバルが確認できたのは次の3店だけ。
人形町志乃多寿司總本店
明治10年(1877年)創業の大阪寿司の専門店。創業者がいなり寿司に志乃多と名付け売り出したのが始まり。なお、お品書きの紙には上方寿司と書いてある。茶巾は錦紙卵も酢飯も全体的に甘さ抑えめ。
神田志乃多寿司
明治35年(1902年)創業。人形町からののれん分けとされる。本店地下にある静智庵で大阪寿司を食べることもできる。
八千穂寿司
昭和47年(1972年)、神田志乃多寿司で修行した初代が巣鴨で開業。現在は九段北にある。茶巾は錦紙卵がやや厚ぼったい。
なお、神田からさらに浅草や四谷にのれん分けがあるが、志乃多とかんぴょう巻き専門で大阪寿司ではないようだ。
◆インド名物はインドカレーと言われたような違和感 「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(1)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/19/9776452
◆大阪のお寿司との違いは? 「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(2)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/21/9777055
◆いつから使われ出した?「大阪寿司」は東京土着民にしか通じない江戸の方言(3)
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2025/05/23/9777235
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