インド名物はインドカレーと言われたような違和感2025年05月19日 12:25

インド名物はインドカレーと言われたような違和感
 このサイトを作った農水省の役人は、関西人でない部外者なのだろう。
 大阪に住んでるとき、「大阪寿司」なんて看板を見た覚えがない。
日本人がインドに行って、インド人に「インドカレーが食べたい」と言ったら「はあ?」だろう。
 イギリスから伝わったカレー粉と小麦粉を使う日本式のカレーに対し、本場インド風のカレーを日本国内でインドカレーと言うのであって、インドにインドカレーはない。同様に、東京の人間が大阪のまねをして作る大阪風の寿司が大阪寿司。
 大阪人が「今日は大阪寿司を買ってきた」なんて言わない。
ましてや、京都や神戸など大阪以外の関西人はもっと言わないだろう。
 インドにインドカレーなく、イタリアにナポリタンなく、ロシアにシベリアなく、広島県民に広島焼きと言ったら激怒される。
 大阪に大阪寿司などないのだ。
大阪では、バッテラ、押し寿司、箱寿司、棒寿司、巻き寿司、小鯛雀寿司などと個別に呼び、その総称はただの「寿司」だ。
 ところが、驚いたことに、関西厚焼工業組合という団体が2010年ごろに9月15日を「大阪寿司の日」に制定し、イベントを開いていたそうだ。
 しかも、「大阪寿司は10年ぐらい前にPRのために大阪で作られた新語」という間違いまで広まってしまった。
 「大阪寿司」は東京で100年以上も前から使われている東京土着民だけに通じるいわば江戸の方言だ。
 自分が子供の時は、近所に家族経営の庶民的な「大阪寿司」の店があった。
 でも、昭和の時代に、手頃な大阪寿司店はほとんどがつぶれてしまい、固定客のいる老舗の大阪寿司店だけがかろうじて生き残った。それも次々閉店し、今でも残っているのは創業明治10年の人形町志乃多寿司總本店とそののれん分けの2店ぐらいだ。
 神楽坂の大〆が2017年に閉店し、四谷のハ竹が今年3月に閉店した。
 子供の頃から故郷・東京の味として慣れ親しんだ大阪寿司はもはや絶滅寸前。人形町や神田の老舗の大阪寿司にはがんばってほしい。
そして、努力の甲斐もなく消えゆくようなことがあっても、東京には「大阪寿司」なる土着の独自文化が確かにあったことまで忘れさられないでほしい。
100年以上も前に東京で生まれ、東京で栄えた「大阪寿司」が滅亡した上に、「2000年代に関西の業界(おそらく本部は大阪)が作った新しい言葉」などという間違いが事実かのように上書きされるのでは救いがない。
人は、亡くなった時と人々の記憶から消えた時の2回死ぬと言う。物も同じだ。(続く)

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