ノーベル賞学者塾を全否定 受験が柱な教育メディアで ― 2023年12月01日 13:07
高校ではジェネラルな教養を身につけるべきで受験のために理系文系に分けるのはよくないというのはその通りだろう。自分も理系だが、作文も古文や漢文の暗記力でないエピソードも好きだった。「一体、どんな日本語教育を受けてきたんだ」と問いたくなる「独創的」な修正を原稿に入れる上司に「私は理系だけど、国語の成績はあんたよりはほんのちょっとだけマシだったぞ」と怒鳴りたくなるのを我慢したことが何度もある。
しかし、そういう梶田さんが漢字、漢文、古文、日本史が苦手だったそうで。ノーベル賞級の業績を挙げた研究者は話を聞くとほとんどが特化突出型タイプという印象だ。本当に何でもできて専門外のことでも何でも知っている白川英樹さんのような人はめったにいない。オールラウンダーの東大の研究って京大の研究みたいな馬鹿馬鹿しさに欠け、何か面白みがなかったりする。
「真・普通の人」が参考にできない破天荒で自由闊達な「自称普通の人」石原さん、とても参考になる教育的な田中学長、受験産業への不信感をあらわにする梶田さん。期せずしてだが、あまりにも極端な三者三様連載になった。
◆「制限時間内の高得点競争」を社会は求めていない ノーベル物理学賞の梶田隆章さん
https://www.asahi.com/edua/article/15067899
◆底辺をはう成績だった中学時代、同級生の一言で急浮上 田中雄二郎・東京医科歯科大学長
https://www.asahi.com/edua/article/15067878
◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
https://www.asahi.com/edua/article/15065984
しかし、そういう梶田さんが漢字、漢文、古文、日本史が苦手だったそうで。ノーベル賞級の業績を挙げた研究者は話を聞くとほとんどが特化突出型タイプという印象だ。本当に何でもできて専門外のことでも何でも知っている白川英樹さんのような人はめったにいない。オールラウンダーの東大の研究って京大の研究みたいな馬鹿馬鹿しさに欠け、何か面白みがなかったりする。
「真・普通の人」が参考にできない破天荒で自由闊達な「自称普通の人」石原さん、とても参考になる教育的な田中学長、受験産業への不信感をあらわにする梶田さん。期せずしてだが、あまりにも極端な三者三様連載になった。
◆「制限時間内の高得点競争」を社会は求めていない ノーベル物理学賞の梶田隆章さん
https://www.asahi.com/edua/article/15067899
◆底辺をはう成績だった中学時代、同級生の一言で急浮上 田中雄二郎・東京医科歯科大学長
https://www.asahi.com/edua/article/15067878
◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
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都内有名私立一貫校で深海魚から急浮上の学長 ― 2023年11月30日 12:10
第2回は、医科歯科大の田中学長。誰もマネできない自由過ぎ学園とはまた趣が全く違い、教育者だけあって、とても中高生が参考になりそうな話。
母校の講演会でも、中1の頃は深海魚だった話をすると、成績上位者になってからのイメージしかない同級生から驚きの声が上がったそうだ。
◆底辺をはう成績だった中学時代、同級生の一言で急浮上 田中雄二郎・東京医科歯科大学長
https://www.asahi.com/edua/article/15067878
◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
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母校の講演会でも、中1の頃は深海魚だった話をすると、成績上位者になってからのイメージしかない同級生から驚きの声が上がったそうだ。
◆底辺をはう成績だった中学時代、同級生の一言で急浮上 田中雄二郎・東京医科歯科大学長
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◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
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国立大並みの学費しか払えないけど受験科目を極力減らして省力するには ― 2023年11月29日 12:05

自由の森学園のOBに初めてインタビューしたのだが、本当に自由すぎる。
国立大相当の学費しか払えないけど、受験用の余計な勉強は極力したくないという人の抜け道があることを初めて知った。
◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
https://www.asahi.com/edua/article/15065984
国立大相当の学費しか払えないけど、受験用の余計な勉強は極力したくないという人の抜け道があることを初めて知った。
◆科学者たちはどんな勉強をしていたか
「“普通の人”でも科学はできる」と知った中高の理科授業 物理学者・石原安野さん
https://www.asahi.com/edua/article/15065984
豚かつ専門店で漬け鮪かつの山かけとろろ丼 ― 2023年11月27日 12:25

とんかつ専門店にソースカツ丼でも食べるつもりで行ったのだが。季節限定を聞いたら、これ。豚感は全くないけど。漬けの出汁にみりんが使われているので、ほのかな甘みがある。
◆富山ブラック冷やしとんかつラーメン
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/09/04/9615106
◆デミグラスかつと富山ブラック冷やしとんかつ再び
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/09/23/9619867
◆富山ブラック冷やしとんかつラーメン
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/09/04/9615106
◆デミグラスかつと富山ブラック冷やしとんかつ再び
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/09/23/9619867
通勤途中に。雨の中配っていた ― 2023年11月17日 13:47

オリックス「逆王手」は誤用?リーグなら真の逆王手可能 ― 2023年11月05日 12:03

将棋やチェスの逆王手は、相手が先にかけた王手を無効にする王手のことで、スポーツ競技のプレイオフではあり得ない。しかし、スポーツ紙、一般紙ともほとんどが「逆王手」と書いている。
リーグ戦では逆王手があり得て、実際にそういう意味で使ったそうだ。
例えば、こんな例。年間100試合としよう。
1位のチームは、2位との最終戦を残し、68勝29敗2分(勝率0.701)。2位のチームは1位のチームの後、もう1試合あり、68勝30敗(勝率0.694)。1位チームは2位チームに勝てば、勝率0.704で、2位チームの最終戦の結果に関係なく優勝する王手状態(2位は最終戦に勝っても69勝31敗で勝率0.690)。ところが、1位のチームが2位に負けてしまい、最終結果は68勝30敗2分(勝率0.694)。自力優勝を逃す。2位チームは69勝30敗(勝率0.697)で逆転し、最終戦に勝つか引き分けで優勝の逆王手。負けると、69勝31敗(勝率0.690)で優勝を逃す。
https://digital.asahi.com/articles/ASRC46SVGRC4PQIP00J.html
リーグ戦では逆王手があり得て、実際にそういう意味で使ったそうだ。
例えば、こんな例。年間100試合としよう。
1位のチームは、2位との最終戦を残し、68勝29敗2分(勝率0.701)。2位のチームは1位のチームの後、もう1試合あり、68勝30敗(勝率0.694)。1位チームは2位チームに勝てば、勝率0.704で、2位チームの最終戦の結果に関係なく優勝する王手状態(2位は最終戦に勝っても69勝31敗で勝率0.690)。ところが、1位のチームが2位に負けてしまい、最終結果は68勝30敗2分(勝率0.694)。自力優勝を逃す。2位チームは69勝30敗(勝率0.697)で逆転し、最終戦に勝つか引き分けで優勝の逆王手。負けると、69勝31敗(勝率0.690)で優勝を逃す。
https://digital.asahi.com/articles/ASRC46SVGRC4PQIP00J.html
ジャニーの犯罪に新聞はなぜ無関心だったか(4)芸能人の私事を書くは弱者イジメ ― 2023年11月02日 18:02

昭和の話だが、芦屋あたりのお嬢さんと付き合っていた学生が相手の親から「弁護士になるなら結婚してもいいが、新聞記者なんかになる者に娘はやれない」と言われたそうだ。ブンヤ家業は河原乞食並みにまっとうでない商売と考えられていたのだ。
当時、「記者、役者、芸者は衣装に気と金を使わなければならない」という言葉があったた。人に見られる仕事だからという表向きの意味もあるが、そもそも身なりがみすぼらしかったら誰にも相手にされない職業いうことだ。これが医者や弁護士なら質素な服を着ていても「良心的に仕事をしてるから清貧なんだな」と尊敬されるかもしれない。ヤクザの幹部がアルマーニのスーツを着てベンツに乗るのと同じこと。
さて、大正時代に書かれた「最近新聞紙学」という記者の仕事ハウツー本の名作がある。その中の総論第一章第二節「新聞価値の減殺」の中に、こんな事が書いてある。
「二、人の私事 いかなる人間にも、公開されては困る私の所がある。善悪いかんの問題ではなくして、ただ私のことであるから、公にされては困る。困るという程になくても、公にしたくないことが、誰にもある。こういう公にすべからざる私の事を公開の紙上に掲ぐるのは、正しく人道の大義に反した不徳である。この故に一個人の私事にわたるものは、善悪ともに新聞紙の材料とすべきものでない。欧米文明諸国の新聞紙には、『プライベート』(私の)ということは『新聞紙に出さぬ』ということとほとんど同意義に用いられている」
「三、善良の風俗に反すること そういうことを喜ぶ読者が多いからだと言えば、それまでながら、元来新聞紙及び新聞記者は、常に一世を指導すべき任務のあるもので、一も二も劣悪なる読者の好尚に媚びて、自ら売らんことをのみ求むるは陋(=いやしい)である。殊に笑うに堪えたるは、好んで芸妓や茶屋女などの些事を掲ぐるを得意とする新聞紙のあることで、或いは芸娼妓の開業廃業を報じ、或いは旦那とか情夫とか称する者との関係を報じ、或いは下劣なる俳優がこの種の女とふざけあったてん末を報ずるが如き、誠に沙汰の限りといわざるを得ない。彼らの社会にありがちな男女の間の常時の成敗などを掲ぐるが如きは、一に下劣な読者の好奇心を満足せしむるに過ぎない。新聞紙が自ら卑しゅうするとは、こういうことを言うのである。自ら卑しゅうするばかりなら、まだしもの事、この種の記事は、ともすれば弱者を壓迫(=圧迫)することになって、人気を命とする歌舞伎俳優その他各種の芸人などが、これが為に、人気を失墜し営業に失敗することが、どれほどあるか知れぬ。おのれ自ら強大な武器をもった新聞記者が、一方学者、政治家、実業家の如き強者に阿附(=へつらう)しながら、他の一方に弱者を虐げて得たりとするが如きは実にけしからぬ話である。この点においてわれらは、かつてこれらの事に筆を染めぬ『時事』『報知』『萬朝報』『朝日』を高しとせざるを得ない」
つまり、強大な力を持った新聞が役者や芸能人の私事、色事を取り上げるのは弱い者イジメである。その力は、国民から預かったに過ぎない権力を私物化し、私利私欲のために使って腐敗している政治家の裏を暴くことに割くべきだと言ってるわけだ。ブンヤなんてヤクザな商売かもしれないが、「弱きを助け、強きを挫く」清水の次郎長のような任侠ヤクザであるという矜持があった。
この一線を守るかどうかが報道機関(ジャーナリズム)と単なる興味本位なメディアとの境界だと思う。
近年、ワイドショーや週刊誌、スポーツ紙が大騒ぎしたけど、新聞が全く書かなかったニュースは枚挙に暇がないが、思いつくままに列挙すると、
・眞子さんの婚約者の小室さんの母親の借金騒動(秋篠宮の公式会見での言及のみ報道)
・オセロ中島、事務所独立、洗脳騒動
・小林幸子、マネージャー解任騒動
東出、杏夫婦の不倫騒動なども離婚の事実を小さく報じただけ。有名人であってもプライベートはニュースではないという線引きを戦後もずっと続けて来たのだ。
財務事務次官のセクハラ疑惑のように権力を悪用したセクハラなどは別。ジャニー喜多川はその影響力において国会議員や高級官僚、大企業の社長などと同じぐらいの権力者であるという認識が新聞に欠けていたと言える。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/26/9628402
◆ ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(3) 週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/30/9629643
当時、「記者、役者、芸者は衣装に気と金を使わなければならない」という言葉があったた。人に見られる仕事だからという表向きの意味もあるが、そもそも身なりがみすぼらしかったら誰にも相手にされない職業いうことだ。これが医者や弁護士なら質素な服を着ていても「良心的に仕事をしてるから清貧なんだな」と尊敬されるかもしれない。ヤクザの幹部がアルマーニのスーツを着てベンツに乗るのと同じこと。
さて、大正時代に書かれた「最近新聞紙学」という記者の仕事ハウツー本の名作がある。その中の総論第一章第二節「新聞価値の減殺」の中に、こんな事が書いてある。
「二、人の私事 いかなる人間にも、公開されては困る私の所がある。善悪いかんの問題ではなくして、ただ私のことであるから、公にされては困る。困るという程になくても、公にしたくないことが、誰にもある。こういう公にすべからざる私の事を公開の紙上に掲ぐるのは、正しく人道の大義に反した不徳である。この故に一個人の私事にわたるものは、善悪ともに新聞紙の材料とすべきものでない。欧米文明諸国の新聞紙には、『プライベート』(私の)ということは『新聞紙に出さぬ』ということとほとんど同意義に用いられている」
「三、善良の風俗に反すること そういうことを喜ぶ読者が多いからだと言えば、それまでながら、元来新聞紙及び新聞記者は、常に一世を指導すべき任務のあるもので、一も二も劣悪なる読者の好尚に媚びて、自ら売らんことをのみ求むるは陋(=いやしい)である。殊に笑うに堪えたるは、好んで芸妓や茶屋女などの些事を掲ぐるを得意とする新聞紙のあることで、或いは芸娼妓の開業廃業を報じ、或いは旦那とか情夫とか称する者との関係を報じ、或いは下劣なる俳優がこの種の女とふざけあったてん末を報ずるが如き、誠に沙汰の限りといわざるを得ない。彼らの社会にありがちな男女の間の常時の成敗などを掲ぐるが如きは、一に下劣な読者の好奇心を満足せしむるに過ぎない。新聞紙が自ら卑しゅうするとは、こういうことを言うのである。自ら卑しゅうするばかりなら、まだしもの事、この種の記事は、ともすれば弱者を壓迫(=圧迫)することになって、人気を命とする歌舞伎俳優その他各種の芸人などが、これが為に、人気を失墜し営業に失敗することが、どれほどあるか知れぬ。おのれ自ら強大な武器をもった新聞記者が、一方学者、政治家、実業家の如き強者に阿附(=へつらう)しながら、他の一方に弱者を虐げて得たりとするが如きは実にけしからぬ話である。この点においてわれらは、かつてこれらの事に筆を染めぬ『時事』『報知』『萬朝報』『朝日』を高しとせざるを得ない」
つまり、強大な力を持った新聞が役者や芸能人の私事、色事を取り上げるのは弱い者イジメである。その力は、国民から預かったに過ぎない権力を私物化し、私利私欲のために使って腐敗している政治家の裏を暴くことに割くべきだと言ってるわけだ。ブンヤなんてヤクザな商売かもしれないが、「弱きを助け、強きを挫く」清水の次郎長のような任侠ヤクザであるという矜持があった。
この一線を守るかどうかが報道機関(ジャーナリズム)と単なる興味本位なメディアとの境界だと思う。
近年、ワイドショーや週刊誌、スポーツ紙が大騒ぎしたけど、新聞が全く書かなかったニュースは枚挙に暇がないが、思いつくままに列挙すると、
・眞子さんの婚約者の小室さんの母親の借金騒動(秋篠宮の公式会見での言及のみ報道)
・オセロ中島、事務所独立、洗脳騒動
・小林幸子、マネージャー解任騒動
東出、杏夫婦の不倫騒動なども離婚の事実を小さく報じただけ。有名人であってもプライベートはニュースではないという線引きを戦後もずっと続けて来たのだ。
財務事務次官のセクハラ疑惑のように権力を悪用したセクハラなどは別。ジャニー喜多川はその影響力において国会議員や高級官僚、大企業の社長などと同じぐらいの権力者であるという認識が新聞に欠けていたと言える。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
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◆ ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(3) 週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避
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ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(3)週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避 ― 2023年10月30日 12:04
昔の話だが、知人がある週刊誌の編集部に行ったら編集長が机の引き出しから分厚い書類の束を出してきて「こんなにあるんですよ」とまるで自慢かのように告訴状の山を見せたそうだ。雑誌にとって訴えられるのは日常。記事は裁判になってナンボみたいなところがあった。
週刊誌よりはるかに多くの記事ニュースを日々載せている新聞だが、告訴されたという話はめったに聞かない。雑誌、週刊誌に比べると、記事掲載のハードルがはるかに高く、どんなに面白そうなネタでも根拠が危うい時は載せないからだ。
記者たる者、権力や権威がある人の不正を暴いて、社会に貢献したいという願望は誰でも持っている。科学者や研究者を主に取材する科学記者だって同じだ。しかし、象牙の塔の内部で起きている研究不正などの証拠をつかむのは簡単ではない。決定打となるような根拠をどうしても詰め切れず、泣く泣くあきらめるなどということは少しも珍しくない。そのような石橋を叩いて渡らないのが新聞のような報道機関なのだ。
告訴されるような脇の甘さがあること自体がマイナスであり、書かれた方が相談した弁護士がまともであれば、「これはとても勝てないから、告訴はあきらめた方がいい」と助言するぐらい徹底的に固める。それでも、訴える人はたまにいるが、仮に訴えられても、新聞社が掲載した記事に関して被告になった民事裁判で負けるということは本当にめったにない。
さて、週刊文春の記事をジャニーズ喜多川が名誉毀損と訴えた損害賠償裁判は、所属タレントへのセクハラという記事の主要部分を高裁、最高裁が事実と認めた「事実上」の文春側勝訴とされている。しかし、「事実上の勝訴」は負けだ。記事の主要でない部分で名誉毀損が成立するとされて、賠償金の支払いを命じられている。
新聞は訴えられるかもしれない記事を載せるのであれば、徹底的に精査して、絶対に裁判で負けない確実な部分だけを記事にする。もしも一部でも負けたら、「裁判所が記事は間違いだと認定した」とすべてが誤報だったかのような宣伝に使われ、結果、相手を利するだけで、不正を正そうとする目的と逆の効果を生むことになるからだ。文春の記事のような結果を「詰めが甘い」などと言う。もしも、文春砲が固いところだけを詰め切って、裁判に勝っていたら世の中の流れは変わっていたかもしれない。
記事の名誉毀損裁判で争われるのは、記者がその内容を真実だと信じるに足る十分な根拠があったかどうかという真実相当性だ。だから、新聞では{一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された}と絶対に覆らない事実だけを書くわけだ。有名人の評伝にあえてこの1文を入れるだけでも異様だ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/26/9628402
週刊誌よりはるかに多くの記事ニュースを日々載せている新聞だが、告訴されたという話はめったに聞かない。雑誌、週刊誌に比べると、記事掲載のハードルがはるかに高く、どんなに面白そうなネタでも根拠が危うい時は載せないからだ。
記者たる者、権力や権威がある人の不正を暴いて、社会に貢献したいという願望は誰でも持っている。科学者や研究者を主に取材する科学記者だって同じだ。しかし、象牙の塔の内部で起きている研究不正などの証拠をつかむのは簡単ではない。決定打となるような根拠をどうしても詰め切れず、泣く泣くあきらめるなどということは少しも珍しくない。そのような石橋を叩いて渡らないのが新聞のような報道機関なのだ。
告訴されるような脇の甘さがあること自体がマイナスであり、書かれた方が相談した弁護士がまともであれば、「これはとても勝てないから、告訴はあきらめた方がいい」と助言するぐらい徹底的に固める。それでも、訴える人はたまにいるが、仮に訴えられても、新聞社が掲載した記事に関して被告になった民事裁判で負けるということは本当にめったにない。
さて、週刊文春の記事をジャニーズ喜多川が名誉毀損と訴えた損害賠償裁判は、所属タレントへのセクハラという記事の主要部分を高裁、最高裁が事実と認めた「事実上」の文春側勝訴とされている。しかし、「事実上の勝訴」は負けだ。記事の主要でない部分で名誉毀損が成立するとされて、賠償金の支払いを命じられている。
新聞は訴えられるかもしれない記事を載せるのであれば、徹底的に精査して、絶対に裁判で負けない確実な部分だけを記事にする。もしも一部でも負けたら、「裁判所が記事は間違いだと認定した」とすべてが誤報だったかのような宣伝に使われ、結果、相手を利するだけで、不正を正そうとする目的と逆の効果を生むことになるからだ。文春の記事のような結果を「詰めが甘い」などと言う。もしも、文春砲が固いところだけを詰め切って、裁判に勝っていたら世の中の流れは変わっていたかもしれない。
記事の名誉毀損裁判で争われるのは、記者がその内容を真実だと信じるに足る十分な根拠があったかどうかという真実相当性だ。だから、新聞では{一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された}と絶対に覆らない事実だけを書くわけだ。有名人の評伝にあえてこの1文を入れるだけでも異様だ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
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長蛇の列のハンバーグ屋に行ってみた ― 2023年10月29日 17:00

いつも長蛇の列なハンバーグの店を通りかかったら3人ぐらいしか並んでなかったので入ってみた。
最初だけちょっと焼いて出し、後は客に焼かせる方式なので調理スタッフを少なくて済み効率的。
焼く時は金箸を使い、食べる時は木箸と書いてある。
「何でかな」と思ったが、焼く時に木箸でつかむと木箸に生肉が触れる。
それをそのまま食べる時に使った場合の食中毒を避けるためだろう。
平日の12:30ごろで混む時間帯かと思ったのですが、13時を過ぎてからの方が混むようだ。
最初だけちょっと焼いて出し、後は客に焼かせる方式なので調理スタッフを少なくて済み効率的。
焼く時は金箸を使い、食べる時は木箸と書いてある。
「何でかな」と思ったが、焼く時に木箸でつかむと木箸に生肉が触れる。
それをそのまま食べる時に使った場合の食中毒を避けるためだろう。
平日の12:30ごろで混む時間帯かと思ったのですが、13時を過ぎてからの方が混むようだ。
ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層 ― 2023年10月26日 12:19

ジャニーの犯罪に新聞はなぜ無関心だったか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
古い新聞用語に、硬派記事、軟派記事という言葉がある。硬派記事とは新聞の1、2面に載るような政治記事のことであり、軟派記事とは社会面の記事のことだ。
そして、この軟派記事の意味の中に、芸能ニュースは含まれていなかった。
美味しんぼの山岡・栗田夫妻が所属する文化部・学芸部といった芸能ニュースを扱う部署はある。しかし、美味しんぼを読めば分かる通り、社内でのカーストはかなり低めだ。今はさほど身分差別は感じないが、かつて新聞社のトップカーストは政治部、経済部、社会部の三強で、国際部(外報部)がほぼ同格。文化(学芸)部、運動(スポーツ)部は低く、「科学部? そんな部あったっけ?」という有り様だった。
さらにその文化学芸部の担当分野の中も細かくカーストが分かれており、高いのは、小説、演劇(芝居、歌舞伎、能狂言など)、美術(絵画、彫刻など)、音楽などで、映画もほぼ同格。最も低いのはテレビ、マンガ、アニメなどだった。
芸能、エンタメ系のニュースが1面や社会面に載ることはめったになく、中の方の文化面、家庭面に押し込められていた。
四半世紀も前だが、少年ジャンプが低迷し、少年マガジンに部数で間もなく抜かれるという記事が夕刊の1面トップになったことがあった。内容よりもその扱いで出版業界に激震が走った。講談社の人が「我々の漫画業界の話を新聞が1面にすることがあるんだ」と驚いていたのを覚えている。読者も同様で、今でも歌舞伎役者の親子襲名を1面に出すと、「人間国宝でもないし、今だ何も成し遂げていない役者をなぜ1面にするのか。藤井聡太とは違う」などと電話がかかってくるし、志村けんの訃報を1面で大きな記事にしたことにもクレームが来た。芸能界のニュースを下に見る風潮、報道機関が扱うようなニュースではないという意識が書く側にも読む側にもあったのだ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
古い新聞用語に、硬派記事、軟派記事という言葉がある。硬派記事とは新聞の1、2面に載るような政治記事のことであり、軟派記事とは社会面の記事のことだ。
そして、この軟派記事の意味の中に、芸能ニュースは含まれていなかった。
美味しんぼの山岡・栗田夫妻が所属する文化部・学芸部といった芸能ニュースを扱う部署はある。しかし、美味しんぼを読めば分かる通り、社内でのカーストはかなり低めだ。今はさほど身分差別は感じないが、かつて新聞社のトップカーストは政治部、経済部、社会部の三強で、国際部(外報部)がほぼ同格。文化(学芸)部、運動(スポーツ)部は低く、「科学部? そんな部あったっけ?」という有り様だった。
さらにその文化学芸部の担当分野の中も細かくカーストが分かれており、高いのは、小説、演劇(芝居、歌舞伎、能狂言など)、美術(絵画、彫刻など)、音楽などで、映画もほぼ同格。最も低いのはテレビ、マンガ、アニメなどだった。
芸能、エンタメ系のニュースが1面や社会面に載ることはめったになく、中の方の文化面、家庭面に押し込められていた。
四半世紀も前だが、少年ジャンプが低迷し、少年マガジンに部数で間もなく抜かれるという記事が夕刊の1面トップになったことがあった。内容よりもその扱いで出版業界に激震が走った。講談社の人が「我々の漫画業界の話を新聞が1面にすることがあるんだ」と驚いていたのを覚えている。読者も同様で、今でも歌舞伎役者の親子襲名を1面に出すと、「人間国宝でもないし、今だ何も成し遂げていない役者をなぜ1面にするのか。藤井聡太とは違う」などと電話がかかってくるし、志村けんの訃報を1面で大きな記事にしたことにもクレームが来た。芸能界のニュースを下に見る風潮、報道機関が扱うようなニュースではないという意識が書く側にも読む側にもあったのだ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
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