3月10日と半蔵門2019年03月09日 08:38

 皇居の西側を守る半蔵門は、父やその弟妹が育った麹町にある。我々兄妹にとっても懐かしい生まれ故郷だ。おそらく4月に度々テレビに映し出されることだろう。

 社会人1年生のとき、私はこんなコラムを書いた。

 最近、半蔵門がテレビによく映る。昭和20年3月10日。東京に焼夷弾の雨が降った。米軍の爆撃機の照準は正確で、英国大使館と皇居にだけは1発も落とさなかった。炎に追われて逃げ惑う市民たちが、唯一燃えていなかった半蔵門に殺到した。だが、門を守る官憲が遮った。「ここは天子のおわす宮城である。一般人の立ち入りはまかりならん」。そう言って燃えさかる町に追い返した。市民たちは死を覚悟して戻っていった。
 もし、大災害で再び東京が炎に包まれる日が来たら、今度はあの門を通してくれるのだろうか。半蔵門の映像を見ながらそんなことを思った。


 毎日、先輩に叱られていた新人時代、このコラムは唯一、上司に誉められた事かもしれない。

 東京大空襲は炎の壁で東京市を取り囲み、その内側にある家屋を住民ごと焼き尽くすというジェノサイド作戦だった。3月10日は10万人以上の一般人が死んだとされる。この日、半蔵門から追い返された人々の中に、父・壮一と祖父・利一がいた。
 国家にとって、国民の命より優先するべき物があってはならない。日本が二度とそんな国に戻ってはいけない。
 そのことを私は父の体験から学んだ。今の子供たちには誰が教えるのだろうか。