大リーグボール1号の極意2023年05月24日 12:55

大リーグボール1号の極意
久しぶりに連載筆者を受け持つようになり、昔担当したコラムニストの小田嶋隆さんを思い出した。遅筆で有名。「家にいても書けない」と言うので編集部に来てもらって書くよう前の担当者が変えた。だが、担当者が「じゃあ、めしでも食ってから」と連れて行って戻ってくると「今日は気が乗らない」と帰ってしまったり。書かずに編集長と飲みに行ったり。小田嶋さんの初代担当編集者はとてもまじめな性格だった。小田嶋さんにウソをつかれると「どうして約束をを守ってくれないんですか。私のどこが至らないんですか。言ってくれたら直します」と涙ながらに迫るような人だったそうだ。小田嶋さんは「何も悪くないんですよ。でも、そんな風に言われるとますます書けなくなるんです」。
 そんな小田嶋さんを引き継いだ、3代目か4代目の私は初代と正反対の接し方をした。編集部に来てもらう日時を決めても約束の時間に来ない。電話すると自宅にいて、「今日はちょっと行く気になれません」と正直に言う。私は全くあわてず、約束については何も言わず、「じゃあ、いつにしましょうか」と次の約束を取り付け。でも、また来ない。そういうことが3回ぐらい続いても私は平気な顔だった。こうして守られない約束をとり続けた。その間、「もう、デッドラインです」的な発言は一切しない。2ページのコラム。落ちたら、「先生がいつもの病気で逃げたので、代わりに担当編集者がお届けします」とか書いて、なんかで埋めればいいと本気で思っていた。
 ところが、そういう態度をとり続けると本人が約束を守って来て、しかも原稿が出てくるようになった。以前は色校も出ないで入稿即校了だったのが、そのうち、ゲラまで出るような締め切り前に受け取れるようになった。私が担当している間、原稿は1回も落ちなかった。
 「巨人の星」で語られる大リーグボール1号誕生のエピソードはこんな感じだ。星飛雄馬は投手としての致命的な欠点を突きつけられ、逃亡。訪れた寺で座禅の修業に加わる。コントによく出てくる木の棒(警策)で打つやつだ。雑念の塊のような状態なので、飛雄馬ばかりやたら打たれ続ける。「どうせ負け犬のおれだ。いくらでも打てばいいだろう」と自虐的になると、今度は打たれなくなる。僧が「打たれまい、打たれまいとすればするほど返って心が姿勢に出て打たれてしまう。打たれてもかまわない。いや、むしろ、打ってもらおうと思ったとき、道が開ける」と説く。この体験と言葉から飛雄馬は大リーグボール1号の原理に開眼する。
 「書かせよう、書かせよう」「原稿を落とすまい、落とすまい」と必死になるから、書かせられなくて落ちてしまう。「落ちてもかまわない」。いや、むしろ、「落としてみせよう」と思ったとき、原稿は落ちなくなる。まさに大リーグボール1号の極意だ。これはあらゆるスポーツ競技に通ずる極意だが、しかし、そうやって締め切り前に出てきた原稿より、小田嶋さんが苦しみ、初代が泣きながら受け取っていた原稿の方が面白いと感じる。

◆(惜別)小田嶋隆さん コラムニスト
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15419896.html