原発は根源悪と言ったのは、誰か ― 2020年03月11日 10:50

3・11から数カ月後だったか、高校の部活の同級生からのメールに「原発って根源悪なの?」とあり、「何じゃこりゃ」と。意味が分からないのでスルー。その後、電話がかかってきたときも「原発って根源悪なの?」と再び問われ、「はあ、何のこと?」「だっておまえがそう書いているじゃないか」
ようやく思い出した。高3の冬に書いた科学と社会に関するエッセーのことを言ってるのだと。実家で見返したら、確かにこう書いている。
<原子力のような根元悪(技術的問題などでなく、その存在自体、生産活動そのものが人間に有害である)をどうして科学が魔法のように解決できるものだろうか>
我々が卒業するころから、母校では各教科の課題でつくった論文や卒論などの作品を集めて本にした「論集」というものを年度末に発行するようになった。その論集の自由投稿コーナーに何本か出して採用されたものだ。
同級生はよくもまあ、大昔に書いたこの文章を覚えていたものだ。おそらく当時の私は、日本で大事故が起きるなんて思っていない。単に原発の長期的な稼働は環境や住民に緩慢だが確実な悪影響を及ぼすと考えていたのではないかとおぼろげな記憶が。
さて、それから数年、社会人になって初任地は福島。福島を去るころ、精神的に相当なダークサイドに落ちて、厭世的になっていた私は、短い離任の挨拶文に「これで原発から100キロ以上離れられるのは一安心」みたいなことを書いた。もちろん、没だったが。本心ではないとはいえ、冗談でもあんなことを書くんじゃなかったといまでは深く後悔している。日の目を見てないけど。
何が言いたいのかといえば、10代のころから少なくとも入社2、3年目ぐらいまで、私は間違いなくかなり強硬な原発廃止論者だったということ。しかし、そんな記憶はいつの間にか消え失せ、気づけば「無関心による現状受容」という日本人最大派閥の一員になっていた。
無関心とは何かのきっかけがあるのではなく、日々日常の中、認識できない速度で浸食する。
思い出せないが、忘れてしまった重要なことがほかにもたくさんあるのではないかという気がする。
その一方で、当の本人すらすっかり忘れていることをどこかで誰かが記憶にとどめているかもしれない。活字にはそういう力があると。
ようやく思い出した。高3の冬に書いた科学と社会に関するエッセーのことを言ってるのだと。実家で見返したら、確かにこう書いている。
<原子力のような根元悪(技術的問題などでなく、その存在自体、生産活動そのものが人間に有害である)をどうして科学が魔法のように解決できるものだろうか>
我々が卒業するころから、母校では各教科の課題でつくった論文や卒論などの作品を集めて本にした「論集」というものを年度末に発行するようになった。その論集の自由投稿コーナーに何本か出して採用されたものだ。
同級生はよくもまあ、大昔に書いたこの文章を覚えていたものだ。おそらく当時の私は、日本で大事故が起きるなんて思っていない。単に原発の長期的な稼働は環境や住民に緩慢だが確実な悪影響を及ぼすと考えていたのではないかとおぼろげな記憶が。
さて、それから数年、社会人になって初任地は福島。福島を去るころ、精神的に相当なダークサイドに落ちて、厭世的になっていた私は、短い離任の挨拶文に「これで原発から100キロ以上離れられるのは一安心」みたいなことを書いた。もちろん、没だったが。本心ではないとはいえ、冗談でもあんなことを書くんじゃなかったといまでは深く後悔している。日の目を見てないけど。
何が言いたいのかといえば、10代のころから少なくとも入社2、3年目ぐらいまで、私は間違いなくかなり強硬な原発廃止論者だったということ。しかし、そんな記憶はいつの間にか消え失せ、気づけば「無関心による現状受容」という日本人最大派閥の一員になっていた。
無関心とは何かのきっかけがあるのではなく、日々日常の中、認識できない速度で浸食する。
思い出せないが、忘れてしまった重要なことがほかにもたくさんあるのではないかという気がする。
その一方で、当の本人すらすっかり忘れていることをどこかで誰かが記憶にとどめているかもしれない。活字にはそういう力があると。
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