新井氏絶賛のJD ホントにタダ者?2019年06月05日 17:55

新井紀子氏が新聞に載った大学生の投書「巻き髪のJKは全力で走った」を「すごい。巧い。可愛い!」と絶賛している。
https://twitter.com/noricoco/status/1134612345202700289
私も土曜にある人がすごく誉めていたので読んだが、打ちのめされた。
 本当にただの大学生なのか。流れるような名文。こんなものをスラッと書ける才能に目眩すら覚える。
もしも、自分にこんな才能があったなら、きっと小説家を目指していただろう。
 ある人に、「これはすごい」と勧めたら、「これくらい余裕で書ける。レベッカか岡村孝子かアリアナグランデの歌詞のパクリか」みたいなことをうそぶいていた。そんなの何億円も稼ぐユーチューバーを見て、ガキンチョが俺にもできそうとか、プロのお笑いを見て俺の方が面白いとか言ってるのと同じ。実際に書けるわけない。このJD少なくとも西野カナより筆力ははるか上。うそぶいてた奴は悪いけど大した才能のない私にも及ばないだろう。
 中学生ぐらいで早々と自分には作家の才能がないと諦めてしまった。
しかし、今になって、「簡単に諦めるべきじゃなかったのでは」と思う事がある。
超絶的に面白い作品の数々に出会い、自分にはこのような物を生み出す創作能力(特に、オリジナリティの高いアイデアを思いつく力)がないと感じたわけなのだが。確かに、アマデウス・モーツァルトが頭の中からわき出す音符をただ書きとめていただけなように、スラスラと文字が浮かんで来る天才作家には成れないだろう。私は、自分に才能のない事には一切努力しない子どもだった。得意でないことで他人の何倍も努力したって、せいぜい「中の下」ぐらいにしか行けない。だったら、元々平均より出来てることで努力するべきだと。しかし、天賦の才があるわけでもないのに、必死の努力で血と汗の塊のような小説を書いている作家もたくさんいる。成ろうとする努力もせず、たかだかローティーンで見切ってしまってよかったのか。つい最近、今さらそんなことを考えるようになった。