客に食わせる野菜はニャアだよ これぞTHE大阪(1) ― 2023年10月01日 15:40
甥っ子とディープ大阪にある有名なゴーグル焼き肉に行った。10年ぶりぐらい。スーツなどはビニール袋にしまうことになっている。
隣でタバコを吸っていても気にならないぐらいの煙さ。甥っ子が目が痛いというので、ゴーグルを借りるか聞いたら「負けた気がするから借りない」。隣のサラリーマンたちが記念撮影していたが、画像を見て、「部長が見えない」とか言ってた。
メニューは、肉とホルモン、キムチとナムル、卵スープ、白飯しかない。サンチュも冷麺もビビンパもなくて、ひたすら肉を食べる。
初めて行った時、店先でピーマンとかネギとか焼いていたので、
「野菜焼き下さい」と言ったら、「ありません」。「さっき外で焼いてたじゃないですか」「あれは家族が食べる分です」
隣でタバコを吸っていても気にならないぐらいの煙さ。甥っ子が目が痛いというので、ゴーグルを借りるか聞いたら「負けた気がするから借りない」。隣のサラリーマンたちが記念撮影していたが、画像を見て、「部長が見えない」とか言ってた。
メニューは、肉とホルモン、キムチとナムル、卵スープ、白飯しかない。サンチュも冷麺もビビンパもなくて、ひたすら肉を食べる。
初めて行った時、店先でピーマンとかネギとか焼いていたので、
「野菜焼き下さい」と言ったら、「ありません」。「さっき外で焼いてたじゃないですか」「あれは家族が食べる分です」
ジャガイモは主食? ― 2023年10月20日 12:08
いつも長い行列してるカレー屋が7、8人しか並んでなかったので入ってみた。15分ぐらいで入れたのだが、とても普通。
ところで、カレー店でたまに見るこのジャガイモの扱いが不思議だったのだが、芋類は世界4大主食の一角。これはパンやライスと同じ主食扱いなのだろう。
Super size meというドキュメンタリー映画で、マックばかり食べているアメリカ人にインタビューしたら「サラダならMcDonald's Friesを食べているから大丈夫」と反論するシーンがある。マックのポテトは野菜だと言い張る不健康なアメリカ人もいるわけだ。
日本でも米がない時は、代用主食にすることがあったそうだ。ところで、このカレー屋、ライスとルーのバランスが非常に悪い。ライス少なめに頼むか、ルー増量で頼む必要がある。
ところで、カレー店でたまに見るこのジャガイモの扱いが不思議だったのだが、芋類は世界4大主食の一角。これはパンやライスと同じ主食扱いなのだろう。
Super size meというドキュメンタリー映画で、マックばかり食べているアメリカ人にインタビューしたら「サラダならMcDonald's Friesを食べているから大丈夫」と反論するシーンがある。マックのポテトは野菜だと言い張る不健康なアメリカ人もいるわけだ。
日本でも米がない時は、代用主食にすることがあったそうだ。ところで、このカレー屋、ライスとルーのバランスが非常に悪い。ライス少なめに頼むか、ルー増量で頼む必要がある。
ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事 ― 2023年10月24日 12:44
宮尾登美子の小説「きのね」はほとんど実話だとされている。主人公のモデルは、11代目市川團十郎の妻。10代の時に奉公先として市川家の家政婦になる。
11代目市川團十郎がまだ海老蔵だった時に恋仲になったが、結婚は認められない。12代目市川團十郎(昨年、海老蔵から襲名した当代の13代目團十郎の父)を身ごもるが、病院にも行かせてもらえず、トイレの中で出産する(この辺の描写も本当にあった話とされている)。
しかし、11代目はどうしても結婚したいとあきらめなかった。
そこで、家政婦(当時の言葉で言うと家付きの女中)のままでは世間体が悪いと、後援会長だった、高名な日本画家の前田青邨の養女にしてから結婚する。青邨は没後勲二等相当の従三位(上級貴族)を贈られた。梨園では、結婚が認められなかった相手との間に隠し子がいるなんて珍しい話でもない(松たか子の兄の松本幸四郎とか)ので、ある意味、純愛物語。
しかし、これに対し、当時の世間の反応は、「女中では体裁が悪いから画家の養女にしないと結婚させられないなどと、たかが河原乞食が何様のつもりか」と厳しいものだったという。日本社会において、歌舞伎界や芸能界などはまっとうな人間が就く職業ではなく、道徳的にも倫理的にも一般社会とは隔絶した特殊な社会というのが当たり前の認識だった。いわゆる良家の子女が「芝居をやりたい」とか、「芸能界に入りたい」などと言ったら、親子の縁を切る覚悟が必要だった。親に隠して演劇をしていた人なんかも数多くいた。
今でこそ、歌舞伎役者の娘がお嬢様女優などと呼ばれる価値の逆転が起きているが、元フォーリーブスの北広次がジャニー喜多川の暴露本を書いた昭和の時代にはまだその価値観が日本の社会にも新聞にも強く残っていた。新聞やNHKの報道部門が関心を示さなかったのは「所詮、常識の通用しない異常な世界の話なんだから週刊誌ネタだ」という意識だったと言える。
11代目市川團十郎がまだ海老蔵だった時に恋仲になったが、結婚は認められない。12代目市川團十郎(昨年、海老蔵から襲名した当代の13代目團十郎の父)を身ごもるが、病院にも行かせてもらえず、トイレの中で出産する(この辺の描写も本当にあった話とされている)。
しかし、11代目はどうしても結婚したいとあきらめなかった。
そこで、家政婦(当時の言葉で言うと家付きの女中)のままでは世間体が悪いと、後援会長だった、高名な日本画家の前田青邨の養女にしてから結婚する。青邨は没後勲二等相当の従三位(上級貴族)を贈られた。梨園では、結婚が認められなかった相手との間に隠し子がいるなんて珍しい話でもない(松たか子の兄の松本幸四郎とか)ので、ある意味、純愛物語。
しかし、これに対し、当時の世間の反応は、「女中では体裁が悪いから画家の養女にしないと結婚させられないなどと、たかが河原乞食が何様のつもりか」と厳しいものだったという。日本社会において、歌舞伎界や芸能界などはまっとうな人間が就く職業ではなく、道徳的にも倫理的にも一般社会とは隔絶した特殊な社会というのが当たり前の認識だった。いわゆる良家の子女が「芝居をやりたい」とか、「芸能界に入りたい」などと言ったら、親子の縁を切る覚悟が必要だった。親に隠して演劇をしていた人なんかも数多くいた。
今でこそ、歌舞伎役者の娘がお嬢様女優などと呼ばれる価値の逆転が起きているが、元フォーリーブスの北広次がジャニー喜多川の暴露本を書いた昭和の時代にはまだその価値観が日本の社会にも新聞にも強く残っていた。新聞やNHKの報道部門が関心を示さなかったのは「所詮、常識の通用しない異常な世界の話なんだから週刊誌ネタだ」という意識だったと言える。
ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層 ― 2023年10月26日 12:19
ジャニーの犯罪に新聞はなぜ無関心だったか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
古い新聞用語に、硬派記事、軟派記事という言葉がある。硬派記事とは新聞の1、2面に載るような政治記事のことであり、軟派記事とは社会面の記事のことだ。
そして、この軟派記事の意味の中に、芸能ニュースは含まれていなかった。
美味しんぼの山岡・栗田夫妻が所属する文化部・学芸部といった芸能ニュースを扱う部署はある。しかし、美味しんぼを読めば分かる通り、社内でのカーストはかなり低めだ。今はさほど身分差別は感じないが、かつて新聞社のトップカーストは政治部、経済部、社会部の三強で、国際部(外報部)がほぼ同格。文化(学芸)部、運動(スポーツ)部は低く、「科学部? そんな部あったっけ?」という有り様だった。
さらにその文化学芸部の担当分野の中も細かくカーストが分かれており、高いのは、小説、演劇(芝居、歌舞伎、能狂言など)、美術(絵画、彫刻など)、音楽などで、映画もほぼ同格。最も低いのはテレビ、マンガ、アニメなどだった。
芸能、エンタメ系のニュースが1面や社会面に載ることはめったになく、中の方の文化面、家庭面に押し込められていた。
四半世紀も前だが、少年ジャンプが低迷し、少年マガジンに部数で間もなく抜かれるという記事が夕刊の1面トップになったことがあった。内容よりもその扱いで出版業界に激震が走った。講談社の人が「我々の漫画業界の話を新聞が1面にすることがあるんだ」と驚いていたのを覚えている。読者も同様で、今でも歌舞伎役者の親子襲名を1面に出すと、「人間国宝でもないし、今だ何も成し遂げていない役者をなぜ1面にするのか。藤井聡太とは違う」などと電話がかかってくるし、志村けんの訃報を1面で大きな記事にしたことにもクレームが来た。芸能界のニュースを下に見る風潮、報道機関が扱うようなニュースではないという意識が書く側にも読む側にもあったのだ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
古い新聞用語に、硬派記事、軟派記事という言葉がある。硬派記事とは新聞の1、2面に載るような政治記事のことであり、軟派記事とは社会面の記事のことだ。
そして、この軟派記事の意味の中に、芸能ニュースは含まれていなかった。
美味しんぼの山岡・栗田夫妻が所属する文化部・学芸部といった芸能ニュースを扱う部署はある。しかし、美味しんぼを読めば分かる通り、社内でのカーストはかなり低めだ。今はさほど身分差別は感じないが、かつて新聞社のトップカーストは政治部、経済部、社会部の三強で、国際部(外報部)がほぼ同格。文化(学芸)部、運動(スポーツ)部は低く、「科学部? そんな部あったっけ?」という有り様だった。
さらにその文化学芸部の担当分野の中も細かくカーストが分かれており、高いのは、小説、演劇(芝居、歌舞伎、能狂言など)、美術(絵画、彫刻など)、音楽などで、映画もほぼ同格。最も低いのはテレビ、マンガ、アニメなどだった。
芸能、エンタメ系のニュースが1面や社会面に載ることはめったになく、中の方の文化面、家庭面に押し込められていた。
四半世紀も前だが、少年ジャンプが低迷し、少年マガジンに部数で間もなく抜かれるという記事が夕刊の1面トップになったことがあった。内容よりもその扱いで出版業界に激震が走った。講談社の人が「我々の漫画業界の話を新聞が1面にすることがあるんだ」と驚いていたのを覚えている。読者も同様で、今でも歌舞伎役者の親子襲名を1面に出すと、「人間国宝でもないし、今だ何も成し遂げていない役者をなぜ1面にするのか。藤井聡太とは違う」などと電話がかかってくるし、志村けんの訃報を1面で大きな記事にしたことにもクレームが来た。芸能界のニュースを下に見る風潮、報道機関が扱うようなニュースではないという意識が書く側にも読む側にもあったのだ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
長蛇の列のハンバーグ屋に行ってみた ― 2023年10月29日 17:00
いつも長蛇の列なハンバーグの店を通りかかったら3人ぐらいしか並んでなかったので入ってみた。
最初だけちょっと焼いて出し、後は客に焼かせる方式なので調理スタッフを少なくて済み効率的。
焼く時は金箸を使い、食べる時は木箸と書いてある。
「何でかな」と思ったが、焼く時に木箸でつかむと木箸に生肉が触れる。
それをそのまま食べる時に使った場合の食中毒を避けるためだろう。
平日の12:30ごろで混む時間帯かと思ったのですが、13時を過ぎてからの方が混むようだ。
最初だけちょっと焼いて出し、後は客に焼かせる方式なので調理スタッフを少なくて済み効率的。
焼く時は金箸を使い、食べる時は木箸と書いてある。
「何でかな」と思ったが、焼く時に木箸でつかむと木箸に生肉が触れる。
それをそのまま食べる時に使った場合の食中毒を避けるためだろう。
平日の12:30ごろで混む時間帯かと思ったのですが、13時を過ぎてからの方が混むようだ。
ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(3)週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避 ― 2023年10月30日 12:04
昔の話だが、知人がある週刊誌の編集部に行ったら編集長が机の引き出しから分厚い書類の束を出してきて「こんなにあるんですよ」とまるで自慢かのように告訴状の山を見せたそうだ。雑誌にとって訴えられるのは日常。記事は裁判になってナンボみたいなところがあった。
週刊誌よりはるかに多くの記事ニュースを日々載せている新聞だが、告訴されたという話はめったに聞かない。雑誌、週刊誌に比べると、記事掲載のハードルがはるかに高く、どんなに面白そうなネタでも根拠が危うい時は載せないからだ。
記者たる者、権力や権威がある人の不正を暴いて、社会に貢献したいという願望は誰でも持っている。科学者や研究者を主に取材する科学記者だって同じだ。しかし、象牙の塔の内部で起きている研究不正などの証拠をつかむのは簡単ではない。決定打となるような根拠をどうしても詰め切れず、泣く泣くあきらめるなどということは少しも珍しくない。そのような石橋を叩いて渡らないのが新聞のような報道機関なのだ。
告訴されるような脇の甘さがあること自体がマイナスであり、書かれた方が相談した弁護士がまともであれば、「これはとても勝てないから、告訴はあきらめた方がいい」と助言するぐらい徹底的に固める。それでも、訴える人はたまにいるが、仮に訴えられても、新聞社が掲載した記事に関して被告になった民事裁判で負けるということは本当にめったにない。
さて、週刊文春の記事をジャニーズ喜多川が名誉毀損と訴えた損害賠償裁判は、所属タレントへのセクハラという記事の主要部分を高裁、最高裁が事実と認めた「事実上」の文春側勝訴とされている。しかし、「事実上の勝訴」は負けだ。記事の主要でない部分で名誉毀損が成立するとされて、賠償金の支払いを命じられている。
新聞は訴えられるかもしれない記事を載せるのであれば、徹底的に精査して、絶対に裁判で負けない確実な部分だけを記事にする。もしも一部でも負けたら、「裁判所が記事は間違いだと認定した」とすべてが誤報だったかのような宣伝に使われ、結果、相手を利するだけで、不正を正そうとする目的と逆の効果を生むことになるからだ。文春の記事のような結果を「詰めが甘い」などと言う。もしも、文春砲が固いところだけを詰め切って、裁判に勝っていたら世の中の流れは変わっていたかもしれない。
記事の名誉毀損裁判で争われるのは、記者がその内容を真実だと信じるに足る十分な根拠があったかどうかという真実相当性だ。だから、新聞では{一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された}と絶対に覆らない事実だけを書くわけだ。有名人の評伝にあえてこの1文を入れるだけでも異様だ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/26/9628402
週刊誌よりはるかに多くの記事ニュースを日々載せている新聞だが、告訴されたという話はめったに聞かない。雑誌、週刊誌に比べると、記事掲載のハードルがはるかに高く、どんなに面白そうなネタでも根拠が危うい時は載せないからだ。
記者たる者、権力や権威がある人の不正を暴いて、社会に貢献したいという願望は誰でも持っている。科学者や研究者を主に取材する科学記者だって同じだ。しかし、象牙の塔の内部で起きている研究不正などの証拠をつかむのは簡単ではない。決定打となるような根拠をどうしても詰め切れず、泣く泣くあきらめるなどということは少しも珍しくない。そのような石橋を叩いて渡らないのが新聞のような報道機関なのだ。
告訴されるような脇の甘さがあること自体がマイナスであり、書かれた方が相談した弁護士がまともであれば、「これはとても勝てないから、告訴はあきらめた方がいい」と助言するぐらい徹底的に固める。それでも、訴える人はたまにいるが、仮に訴えられても、新聞社が掲載した記事に関して被告になった民事裁判で負けるということは本当にめったにない。
さて、週刊文春の記事をジャニーズ喜多川が名誉毀損と訴えた損害賠償裁判は、所属タレントへのセクハラという記事の主要部分を高裁、最高裁が事実と認めた「事実上」の文春側勝訴とされている。しかし、「事実上の勝訴」は負けだ。記事の主要でない部分で名誉毀損が成立するとされて、賠償金の支払いを命じられている。
新聞は訴えられるかもしれない記事を載せるのであれば、徹底的に精査して、絶対に裁判で負けない確実な部分だけを記事にする。もしも一部でも負けたら、「裁判所が記事は間違いだと認定した」とすべてが誤報だったかのような宣伝に使われ、結果、相手を利するだけで、不正を正そうとする目的と逆の効果を生むことになるからだ。文春の記事のような結果を「詰めが甘い」などと言う。もしも、文春砲が固いところだけを詰め切って、裁判に勝っていたら世の中の流れは変わっていたかもしれない。
記事の名誉毀損裁判で争われるのは、記者がその内容を真実だと信じるに足る十分な根拠があったかどうかという真実相当性だ。だから、新聞では{一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された}と絶対に覆らない事実だけを書くわけだ。有名人の評伝にあえてこの1文を入れるだけでも異様だ。
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973
◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/26/9628402
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