ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(3)週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避2023年10月30日 12:04

ジャニーの犯罪に新聞はなぜ無関心だったか(3)週刊誌は告訴上等 新聞は裁判を極度に忌避 
 昔の話だが、知人がある週刊誌の編集部に行ったら編集長が机の引き出しから分厚い書類の束を出してきて「こんなにあるんですよ」とまるで自慢かのように告訴状の山を見せたそうだ。雑誌にとって訴えられるのは日常。記事は裁判になってナンボみたいなところがあった。
 週刊誌よりはるかに多くの記事ニュースを日々載せている新聞だが、告訴されたという話はめったに聞かない。雑誌、週刊誌に比べると、記事掲載のハードルがはるかに高く、どんなに面白そうなネタでも根拠が危うい時は載せないからだ。
 記者たる者、権力や権威がある人の不正を暴いて、社会に貢献したいという願望は誰でも持っている。科学者や研究者を主に取材する科学記者だって同じだ。しかし、象牙の塔の内部で起きている研究不正などの証拠をつかむのは簡単ではない。決定打となるような根拠をどうしても詰め切れず、泣く泣くあきらめるなどということは少しも珍しくない。そのような石橋を叩いて渡らないのが新聞のような報道機関なのだ。
 告訴されるような脇の甘さがあること自体がマイナスであり、書かれた方が相談した弁護士がまともであれば、「これはとても勝てないから、告訴はあきらめた方がいい」と助言するぐらい徹底的に固める。それでも、訴える人はたまにいるが、仮に訴えられても、新聞社が掲載した記事に関して被告になった民事裁判で負けるということは本当にめったにない。
 さて、週刊文春の記事をジャニーズ喜多川が名誉毀損と訴えた損害賠償裁判は、所属タレントへのセクハラという記事の主要部分を高裁、最高裁が事実と認めた「事実上」の文春側勝訴とされている。しかし、「事実上の勝訴」は負けだ。記事の主要でない部分で名誉毀損が成立するとされて、賠償金の支払いを命じられている。
 新聞は訴えられるかもしれない記事を載せるのであれば、徹底的に精査して、絶対に裁判で負けない確実な部分だけを記事にする。もしも一部でも負けたら、「裁判所が記事は間違いだと認定した」とすべてが誤報だったかのような宣伝に使われ、結果、相手を利するだけで、不正を正そうとする目的と逆の効果を生むことになるからだ。文春の記事のような結果を「詰めが甘い」などと言う。もしも、文春砲が固いところだけを詰め切って、裁判に勝っていたら世の中の流れは変わっていたかもしれない。
 記事の名誉毀損裁判で争われるのは、記者がその内容を真実だと信じるに足る十分な根拠があったかどうかという真実相当性だ。だから、新聞では{一方、1999年には所属タレントへのセクハラを「週刊文春」で報じられた。文春側を名誉毀損で訴えた裁判では、損害賠償として計120万円の支払いを命じる判決が確定したが、セクハラについての記事の重要部分は真実と認定された}と絶対に覆らない事実だけを書くわけだ。有名人の評伝にあえてこの1文を入れるだけでも異様だ。

◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627973

◆ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(2) テレビ芸能はニュースカースト最下層
https://kajiyan.asablo.jp/blog/2023/10/26/9628402

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