ジャニー喜多川の犯罪に新聞などはなぜ無関心だったのか(1) 所詮河原乞食の世界の出来事 ― 2023年10月24日 12:44
 宮尾登美子の小説「きのね」はほとんど実話だとされている。主人公のモデルは、11代目市川團十郎の妻。10代の時に奉公先として市川家の家政婦になる。
11代目市川團十郎がまだ海老蔵だった時に恋仲になったが、結婚は認められない。12代目市川團十郎(昨年、海老蔵から襲名した当代の13代目團十郎の父)を身ごもるが、病院にも行かせてもらえず、トイレの中で出産する(この辺の描写も本当にあった話とされている)。
しかし、11代目はどうしても結婚したいとあきらめなかった。
そこで、家政婦(当時の言葉で言うと家付きの女中)のままでは世間体が悪いと、後援会長だった、高名な日本画家の前田青邨の養女にしてから結婚する。青邨は没後勲二等相当の従三位(上級貴族)を贈られた。梨園では、結婚が認められなかった相手との間に隠し子がいるなんて珍しい話でもない(松たか子の兄の松本幸四郎とか)ので、ある意味、純愛物語。
しかし、これに対し、当時の世間の反応は、「女中では体裁が悪いから画家の養女にしないと結婚させられないなどと、たかが河原乞食が何様のつもりか」と厳しいものだったという。日本社会において、歌舞伎界や芸能界などはまっとうな人間が就く職業ではなく、道徳的にも倫理的にも一般社会とは隔絶した特殊な社会というのが当たり前の認識だった。いわゆる良家の子女が「芝居をやりたい」とか、「芸能界に入りたい」などと言ったら、親子の縁を切る覚悟が必要だった。親に隠して演劇をしていた人なんかも数多くいた。
今でこそ、歌舞伎役者の娘がお嬢様女優などと呼ばれる価値の逆転が起きているが、元フォーリーブスの北広次がジャニー喜多川の暴露本を書いた昭和の時代にはまだその価値観が日本の社会にも新聞にも強く残っていた。新聞やNHKの報道部門が関心を示さなかったのは「所詮、常識の通用しない異常な世界の話なんだから週刊誌ネタだ」という意識だったと言える。
11代目市川團十郎がまだ海老蔵だった時に恋仲になったが、結婚は認められない。12代目市川團十郎(昨年、海老蔵から襲名した当代の13代目團十郎の父)を身ごもるが、病院にも行かせてもらえず、トイレの中で出産する(この辺の描写も本当にあった話とされている)。
しかし、11代目はどうしても結婚したいとあきらめなかった。
そこで、家政婦(当時の言葉で言うと家付きの女中)のままでは世間体が悪いと、後援会長だった、高名な日本画家の前田青邨の養女にしてから結婚する。青邨は没後勲二等相当の従三位(上級貴族)を贈られた。梨園では、結婚が認められなかった相手との間に隠し子がいるなんて珍しい話でもない(松たか子の兄の松本幸四郎とか)ので、ある意味、純愛物語。
しかし、これに対し、当時の世間の反応は、「女中では体裁が悪いから画家の養女にしないと結婚させられないなどと、たかが河原乞食が何様のつもりか」と厳しいものだったという。日本社会において、歌舞伎界や芸能界などはまっとうな人間が就く職業ではなく、道徳的にも倫理的にも一般社会とは隔絶した特殊な社会というのが当たり前の認識だった。いわゆる良家の子女が「芝居をやりたい」とか、「芸能界に入りたい」などと言ったら、親子の縁を切る覚悟が必要だった。親に隠して演劇をしていた人なんかも数多くいた。
今でこそ、歌舞伎役者の娘がお嬢様女優などと呼ばれる価値の逆転が起きているが、元フォーリーブスの北広次がジャニー喜多川の暴露本を書いた昭和の時代にはまだその価値観が日本の社会にも新聞にも強く残っていた。新聞やNHKの報道部門が関心を示さなかったのは「所詮、常識の通用しない異常な世界の話なんだから週刊誌ネタだ」という意識だったと言える。
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