記事を事前に見せないのは大変だが2022年04月07日 13:10

記事を事前に見せないのは大変だが
 医者という人種は政治家と似た所があるのか、自分が取材を受けた記事は見せてもらって当然と思い込んでる人が多く、対応に手を焼きます。取材馴れしてない分、政治家より面倒な場合もあります。政治家や企業の批判記事とは事情が異なり、記者の科学リテラシーを信じてなくて見せてほしいというのがほとんどですが。忙しいという医療センターの部長に何とか会ったら取材を始める前に開口一番「エイズとHIIVの違いを説明しなさい」とテストされた事があります。それからは自分が書いた関連の科学記事を事前に送って多少は信頼度を上げる方法を取るようになりました。天文学者でしたが、アポを取って会いに行ったら、「自分には一般国民に正しい科学知識を伝える使命があり、例え自分の責任部分でなくても間違った内容が世に出ることは防がなければならない。原稿を事前に見られないなら受けられない」とその場で取材中止になったことがあります。税金を使ってやっている自分の研究に関しては広く国民の知る権利に答える義務がありますが、その学者の研究個別の内容ではなく宇宙論の総花的な話だったので、別な研究者に聞きに行きましたが。
昔、ある部長が「頼むから本人にゲラを見せて間違いがないか確認を取ってくれと言いたくなるライターも多々いるが、そこは断腸の思いで見せさせない」と言ってました。さて、TBSのオウム事件のように批判する記事・番組を事前に見せないのは誰でも理解できますが、「医療や科学業績のように取材される側にとってむしろいい記事なら見せてもいいじゃないか」との意見もあります。でも、そうすると、「見せないって事は悪い事が書いてあるのか」ということになってしまうのでダメ。
 ただ昔と違うのは、編集権を守るため記事のゲラ全体を見せることは禁止だが、コメント部分(いわゆる「」の中)についてはできる限り本人に確認を取ることが望ましいという新聞協会の見解があります。そのため、コメント部分だけ読み上げてそれでいいか本人の了解を取るという作業が近年では当たり前になりました。手間はかかりますが、これはむしろ好都合な点もあります。本人の話した事をそのまま要約してコメントにしても支離滅裂で全く意味が通らない場合、昔は非常に困りました。そういう場合、いかにもその人が言いそうな良い感じに作り込んだ上で「コメントをこういう風にまとめましたがどうでしょう?」と。すると、変な事を言っていた意識はすっかりなく、自分が最初からそのように理路整然と話していたと思い込んでOKする場合がほとんどです。本人が気づかないうちにゴーストライターをやってあげているようなものです。たまには、正直に「いやあ、あのとりとめのない話をうまいことまとめますね」と感心する人もいますが。
 昔ある病気の治療の記事を複数の医者、研究者に取材して書いたのですが、記事が出たら、薬の治験を担当していた医学研究者から「自分に取材して書いた前半部分はいいが、後半に出て来る医者のコメントがけしからん。間違ってる。彼は全然分かってない」と怒ってきました。私からすると、そのコメントは中立的でもっともな意見で、むしろ、文句を言っているその人の方があまりにも製薬企業寄りなんじゃないかという気がしましたが。どっちもその分野の重鎮で互いによく知っている間柄なんだから、そういうのは学会の会合でやってくださいという気分でした。

◆安倍晋三元首相の記事、事前に見せるよう要求
https://www.tokyo-np.co.jp/article/170289

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