仮面ライダーの戦いは正義のためでない 市川新一の遺言2019年10月22日 12:57

 10月1日から東京MXが昭和の「仮面ライダー」第1作の放送(毎週火曜18:30)を始めた。来週の第5話「かまきり男」で、ついにあの有名なナレーションが流れる。
 この作品には、「傷だらけの天使」などのメインライターだった脚本家・市川新一が企画段階で加わっていたが、途中で離脱した。昭和シリーズの平山亨プロデューサーの著書によると、市川新一はこんな事を言ったそうだ。
(ただし、市川さんの自宅に話を聞きに行った時、本人は否定的な反応だった事を付け加えておく。覚えてないというより仮面ライダーやウルトラマンに関わっていた事にあまり触れられたくないのではと感じ、それ以上詰めなかった)
 その言葉とは、「平山さん、仮面ライダーは正義のために戦うというのは無しにしましょう。ナチスだって正義を標榜したんだから。結局、いくら正義を振りかざしても、独裁者は必ず人々の自由を奪い、蹂躙しようとするものです。だから、仮面ライダーは人間の自由のために戦うことにしましょう」
 こうして、生まれたのがあのナレーションだ。
 「仮面ライダー本郷猛は改造人間である。彼を改造したショッカーは、世界制覇を企む悪の秘密結社である。仮面ライダーは人間の自由のために、ショッカーと闘うのだ」
 このエピソードには勇気づけられた。今、成している事が本当に成すべき事なのか。誰しもきっと迷う事がある。そんな時は、自分に問えばいい。誰かの正義を守るためではなく、人々の自由を奪おうとするモノと戦っているだろうか?、と。
 ちなみに、MXは過去に自社で放映した事がない作品は再放送と言わず、新番組と呼ぶ。
 放映とは関係ないだろうが、最近、新聞の投書欄で、中高生による「正義」への反発や疑い、あこがれの意見を特集していて、東映の平成仮面ライダーシリーズの白倉伸一郎プロデューサーがコメンテーターだった。白倉氏は<同じ人間同士での解決法は結局、妥協しか残っていない。より良い妥協には、他者の目線を自分の中に持ち、考えることが大切。それが出来るのが「正義の味方」>と結ぶ。
 これに対し、「白倉氏は正義を感情的な物と捉えている。正義に妥協するという事は不正義への妥協もあり得る事になる」という女性と議論になった。「イスラム教の正義とキリスト教の正義は違う。互いに相手の正義を不正義と思っているから争いがなくならない」と説明したが、どうもこの人は普遍的な正義があると考えているので、通じない。
 「例えば、トランプ大統領を支持するキリスト教原理主義の人たちは中絶を不正義と思っているが、やむを得ない場合もあるという考えも」「やむを得ない場合があるのは当然です」「ですから、どんな場合も絶対認めないという正義もですね・・・」「それは説得するべきです。多くの人がそれは間違いだと分かっています」「じゃあ、どうやって普遍的な正義を決めるんですか。多数決ですか。憲法や法律を守る事が正義ですか?」「違います。殺人は不正義です」(だから、中絶は殺人だと思っている人もいるし)。「でも、イスラムの国では結婚前に男女交際をした女性を親族が殺す名誉殺人があります。その国でも殺人は違法ですが、法律より名誉の方が上で、正義だと考えています」。とまあ、こんな感じ。
 絶対的正義、万人向けの正義などないという仮面ライダーの裏テーマ。逆に、70億の人類全員の正義が一致している世界の方が怖い。

 昨年末、DA PUMP ISSAと仮面ライダー、NHK紅白と仮面ライダーの話を書いたが、MXの放映で久しぶりにライダーもの。次回は、仮面ライダー2号に会いに行った話(前編)の予定。

ISSAが泣いたのはなぜ 聞きたくて会いに行った 昔の話ですが 仮面ライダーな役者たち
http://kajiyan.asablo.jp/blog/2018/12/25/9017050

テレビの常識変えた紅白の(イタイ)プロデューサー 仮面ライダーな役者たち2
http://kajiyan.asablo.jp/blog/2018/12/28/9018090

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