笑いの本質を考える 不毛な作業で思い出した事2023年06月01日 18:02

笑いの本質を考える 不毛な作業で思い出した事
「お笑いの本質とは」と質問され、「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇である」というチャプリンの言葉にお笑いの本質・神髄のすべてがあると答えた。
 さて、昔、ある先輩がある新入社員にとても手を焼いていた。だが、その新人が人事異動で去ってしばらくしてしみじみと言いました。
「同じ部にいた時はあんなに腹が立ったのに、自分が被害を受けない立場になったら急にやさしい気持ちになれる」。なんなら、懐かしく、可愛いい後輩にすら思える。これぞ、チャプリンの名言を別な方程式で言い換えた言葉だと思う。
 近年、どこの会社でも自分の業績を自画自賛する申告書や新年度の目標を書くといった苦行を強いられることが多くなってきた。私が来てから部会が面白くなったと言われたのを思いだし、「毎回部会で提案をする。できれば笑いを取る。黙っているよりは前に出る勇気。スベッてもいい」という目標を入れてみた。
さて、昔、また別な部である上司が「何が書いてあるのかさっぱり意味の分からない原稿」を出してくる新部員に困っていた。
「もっと新聞を読んで文章の書き方を勉強しろ」と言うと「読んでます」。
「それでは、」と私が「じゃあ、今年になってからこの数カ月に読んだ中で何でもいいから一番いい文章だと思った物を挙げてみて」と言ったら
「私って、いい文章と悪い文章の区別がつかないんですよね」。「・・・・」。
そんな「違いの分からない」部員は、リモコンロボットのように上司が何から何まですべてお膳立てしてくれて成した事は自分の手柄ではないという謙虚さがあって、業績に書くことがなく、「幹事として忘年会や送別会を開いた」と書いたそうだ。
「業務での業績に決まってるだろっ」。「こらっ、味オンチな者がどうしてシェフになろうと志したのか」などと心の中でツッコミを入れたのは今となっては懐かしい思い出。可愛いとは1ミリも思わないが。
新人の私に相当苦労させられたはずの先輩が、私の顔を見ると懐かしそうなのはこういう気持ちなのだろう。
ところで、忘年会や送別会など会社の飲み会の幹事が業務扱いで盛況な宴会を開けたかどうかなどが社員としての成績評価・人事考課の対象になる会社もあるんだろうか?
Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

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