逃げ惑う人々を、現在は災害時待避場所の皇居から、炎の中に追い返したのは・・・忘れずに何度でも語り継ぐこと ― 2025年03月05日 11:42
私の父は戦争中、まだ子供だったが、長男なので疎開せずに祖父と2人で東京の自宅に残っていた。典型的な軍国少年で、元寇のように神風が吹いて最後は日本が米軍に勝つと信じていた。いずれは海軍兵学校などに進み、パイロットになるか、戦闘機を作りたいなどと夢を抱いていた。
そんな終戦間際、米軍のB29爆撃機の空襲が何度も東京を襲った。まず、市街地の周囲をぐるっと囲むように焼夷弾を落として炎の壁をつくり、逃げられないように閉じ込め、内側にある家屋を住民ごと焼き尽くすというジェノサイド作戦だ。
B29の照準器は正確で、父のいた麹町区では、英国大使館と皇居にだけ1発も焼夷弾を落とさなかった。そんな中、焼け出されて炎に追われた父たち多くの一般市民が、周辺で唯一燃えてない皇居に避難しようと、半蔵門に殺到した。そこに、門を守る官憲(憲兵)が立ちふさがった。
「ここは天子のおわす宮城である。一般人の立ち入りはまかりならん」(*)
そう言って、燃えさかる町に追い返した。父たちは死を覚悟して半蔵門を後にした。実際、そのまま焼け死んだ人もいるだろう。
天安門事件のように国が自国民に銃を向けることは、対岸の火事ではなかったのだ。
「どうせ死ぬなら長年住んだ懐かしい場所で死にたい」という祖父と父は隅田川の方を目指した。翌日、焼け野原となった町を歩いていると、リアカーに乗せられた男性が今にも死にそうに苦しんでいた。その脇では妻と幼い娘と思われる2人が泣いていた。その光景がそこら中にある黒こげの死体よりも怖かったと父は語っていた。
父を始め、東京大空襲やそのほかの悲惨な戦争体験をした人はもうほとんどいない。
「国家にとって、国民の命より優先するべき物があってはならない。日本が二度とそんな国に戻ってはいけない」。
それを忘れずに語り継ぐこと。それが自分にとって日本を愛することだ。
「日本では愛国心がある事がおかしいという風潮があるのは何故?国旗を掲げ、君が代を歌う事は当然です」というバカげた釣り質問にマジレスを返した。
(*)天子とは昭和天皇、宮城とは皇居のこと。「おわす」とは「いる」の尊敬語。当時だから、一般人ではなく、臣民と言ったかもしれない。
この「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」(昭和 21 年)で、皇居(宮城)の左側で唯一焼けていない(白い部分)、半蔵門の上あたりにある縦長の長方形が英国大使館の敷地だ。
千代田区ホームページ - 戦争体験記録集
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/hewa/hewa-kiroku.html
第1部写真で見る戦争の記憶 特集2 千代田区内の戦争
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/hewa/documents/kirokushu2.pdf
これを書いた時は気づかなかったが、妹に言われて思い出した。今日は父の命日だった。
そんな終戦間際、米軍のB29爆撃機の空襲が何度も東京を襲った。まず、市街地の周囲をぐるっと囲むように焼夷弾を落として炎の壁をつくり、逃げられないように閉じ込め、内側にある家屋を住民ごと焼き尽くすというジェノサイド作戦だ。
B29の照準器は正確で、父のいた麹町区では、英国大使館と皇居にだけ1発も焼夷弾を落とさなかった。そんな中、焼け出されて炎に追われた父たち多くの一般市民が、周辺で唯一燃えてない皇居に避難しようと、半蔵門に殺到した。そこに、門を守る官憲(憲兵)が立ちふさがった。
「ここは天子のおわす宮城である。一般人の立ち入りはまかりならん」(*)
そう言って、燃えさかる町に追い返した。父たちは死を覚悟して半蔵門を後にした。実際、そのまま焼け死んだ人もいるだろう。
天安門事件のように国が自国民に銃を向けることは、対岸の火事ではなかったのだ。
「どうせ死ぬなら長年住んだ懐かしい場所で死にたい」という祖父と父は隅田川の方を目指した。翌日、焼け野原となった町を歩いていると、リアカーに乗せられた男性が今にも死にそうに苦しんでいた。その脇では妻と幼い娘と思われる2人が泣いていた。その光景がそこら中にある黒こげの死体よりも怖かったと父は語っていた。
父を始め、東京大空襲やそのほかの悲惨な戦争体験をした人はもうほとんどいない。
「国家にとって、国民の命より優先するべき物があってはならない。日本が二度とそんな国に戻ってはいけない」。
それを忘れずに語り継ぐこと。それが自分にとって日本を愛することだ。
「日本では愛国心がある事がおかしいという風潮があるのは何故?国旗を掲げ、君が代を歌う事は当然です」というバカげた釣り質問にマジレスを返した。
(*)天子とは昭和天皇、宮城とは皇居のこと。「おわす」とは「いる」の尊敬語。当時だから、一般人ではなく、臣民と言ったかもしれない。
この「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」(昭和 21 年)で、皇居(宮城)の左側で唯一焼けていない(白い部分)、半蔵門の上あたりにある縦長の長方形が英国大使館の敷地だ。
千代田区ホームページ - 戦争体験記録集
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/hewa/hewa-kiroku.html
第1部写真で見る戦争の記憶 特集2 千代田区内の戦争
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/hewa/documents/kirokushu2.pdf
これを書いた時は気づかなかったが、妹に言われて思い出した。今日は父の命日だった。
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