原発廃止社説を初めて見たとズレタ人たち 毎年同じなんだけど2020年03月28日 12:18

毎年同内容を初めて見たとズレタ人たち
 毎年この時期恒例の内容だが、こういう社説を読むと隔世の感がある。中学の時、物理の先生が生徒全員に配る会報か何かに反原発論を載せていた。で、その中で、強烈に覚えている件がある。曰く、「なお、朝日新聞は大熊由紀子論説委員以下、社是として原発推進派だから、あんなところの記事を信じてはいけない」。
 私がこのようなメディアの態度を批判したら、父が「昔は、資源の少ない日本が不安定な中東の石油に頼らずに生きていくための夢のエネルギーだと自民党から共産党に至るまでこぞって原発に賛成していたのだから、仕方がない面もある」と言っていた。
 ちょうどその物理の先生がそれを書いた頃の社内の様子をうかがい知れる「原発とメディア」という連載が本になったものがある。記者は反権力指向の強い者が多いから、もともと反原発の人たちとは親和性が高い。会社の方針とかどうでもよくて、原発推進の障害になるような特ダネを書こうとする者も多く出る。それを当時の科学部長が卑怯な方法でつぶした様子が赤裸々に書かれている。「この記事は非科学的」「載ったら世界の笑いものになる」など一方的に否定の談話を残して、姿をくらましてしまう。どっかの国の首相みたいだ。その本は読み応えあるが、腹が立つ。議論、反論を受け付けずに逃げるなんて言論人としてあるまじき行為。そして、科学部の中にも、原発に懐疑的、否定的な意見を持つ者がいたが、戦後のレッドパージのように飛ばしてしまう。
 しかし、その部長が失脚し、追放されていた人が復活してくる。無条件な原発肯定派は一掃されていくが、それでも、社是は「YES BUT」。原発は日本に必要だが、ついてはいろいろ条件を付け、厳しくチェックさせてもらう、という意味。で、最初はYESとBUTのバランスが五分五分だったが、どんどんBUTが分厚くなって行って、YESは1行なのにBUTは1万行みたいなことに。電力や科技庁から見たら、本当に原発を是としている会社なのか?とクビを傾げたくなるような状態。
 そして、3/11から4カ月後の2011年7月13日。ついに、論説主幹の提言が1面に載る。「いまこそ 政策の大転換を 提言 原発ゼロ社会」。その方策については、中ほどのページに見開きを使った大型社説で特集してます。要は、寿命引き延ばしと増設をしなければ原発は自然に減り、やがてゼロになる。その時期を少しでも前倒ししようという穏やかで現実的な廃止論だ。
 論説委員室というのはその会社の社論を決める言論の最高意志決定機関。どんな会議を開いたのか知らないが、ついに「YES BUT」を捨てることに決め、言論部門のトップである論説主幹がそれを外に向かって宣言したのだ。そこで決まった社論は社長といえど逆らう事はできない。
 「日本は原発に頼らない社会を目指すべきだ」。この社説をあの先生はどんな感慨を持ってみるのか、聞いてみたい気がする。なんか原発が出来た時から反対だったみたいな顔をしているのはどうかと思うが。逆に、今年初めて読んで「ついにここまではっきり廃止を言う大手メディアが現れたのか」などとトンチンカンな事を言ってる人もいる。今は、反原発な記事はむしろ奨励されているぐらいで、逆に前のめりに出過ぎて、勇み足がひどい記事もある。そういう記者たちには、かつて、追放などの弾圧を受けながらがんばった先輩記者がいたから自分たちは今日のこの仕事ができるのだ、自分の才能と実力だけでやってるんだなどと思ってはいけないということを肝に銘じて欲しいものだ。

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