本は貴重だった 慈悲の心が搾取の構造生む2020年09月10日 14:55

本は貴重だった 慈悲の心が搾取の構造生む
 晩酌で相当呑んでるのに小難しい本を読んでいる。母方の祖父は「酒中の仙」を地で行くような人だった。祖父はしがない会社員だが、曽祖父はそこそこの資産家。ある時、「これで嫁(祖母)にピアノを買ってあげなさい」と祖父に結構な大金を渡した。しばらくして、祖母が義父である曽祖父に会うと「おまえは礼というものを言わないんだな」と言われ、ポカン?。「何のお話でしょう?」。何と祖父はもらったピアノ代を黙って使い込み、全額で本を買ってしまったのだ。昭和の初めごろの話。ピアノ1台の価値は今よりはるかに高い。それが何冊の本に化けたのか分からないが。それぐらい本は手に入りにくく、大学出のインテリは本に飢えていたのだ。
 かつてはどれほど本が貴重な物だったのか。それを思い出させてくれるのが「本好きの下克上」シリーズだ。本好きの主人公は元日本人。街に出れば図書館を探してさまよい、図書館に入れば閉館の放送が流れてもかじりついて出て来ない。本さえあれば寝食を忘れて何日も過ごす。人生のすべてが本を中心に回っている。だが、図書館への就職が決まり、本漬けの日々が待っていたのに、本に埋もれてあえなく死んでしまう。転生した先は中世のヨーロッパのような世界。現代の日本人に耐えがたいのは住民も街も不潔なこと。王族貴族や大商人はそれなりに小ぎれいにしているが、主人公は貧しい警備兵の娘マイン。獣脂を使った原始的な石鹸はあるが、そもそも湯浴みなんてたまにしかしない。つぎはぎだらけの服を着古し、なるべく傷まないよう洗濯は週1。上下水道なんてもちろんなく、個人専用のおまるがあり、溜まったら窓から捨てる。5歳で日本人の記憶を取り戻したマインは、家族や隣人をやたら風呂に入れて洗いたがる変な子どもと思われる。
 そして、家中、町中を探索するが、本がない。年子の姉は本という単語の意味すら分からない。値札はあるから文字はある。アルファベットのような表音文字だ。計算道具はあるが、暗算や筆算はできない。まあ、これは地球でも日本人以外ほとんどの国で普通だけど。
 グーテンベルク以前の世界なので、本は豪華に装飾された手書きの一点物のみ。一般的日本人の本棚1個程度の蔵書量を持つ個人は貴族でもめったにいない。下町の貧民は本の存在さえ知らないのだ。なければ作るしかないと決心するが、そもそも紙が発明されていない。その点は日本の平安時代より遅れている。契約書や本に使われているのはコストがかかる羊皮紙だ。
 そこで、紙作りから始める。最初はメソポタミア文明のパピルス紙に挑戦。だが、あれはパピルスがあるから比較的簡単にできるのであって、そこらの草や枝で作るものではない。次にエジプト文明の粘土板。焼き固めようとしたら窯の中で爆発する。木簡を作るとお手伝いで集めた薪だと思われ、燃やされる。
 洗礼式で神殿には聖典などの資料を収めた図書室があると知り、押しかけ巫女になる。現代人の知識を元に商人などの協力者を得、製紙業と印刷業を興す。神殿内の孤児院長となり、孤児院に個人工房を作り、孤児たちが自立できるよう働かせる。それまで孤児院では十分とは言えないが食事が何もしなくても下げ渡され、平等だった。だが、孤児院長兼工房長のマインは「神の恵みは平等ですが、ご褒美は平等ではありません」と宣言。文句を言う子どもに「働かざる者食うべからず」思想をたたき込む。主人公どころか、作者すら意識してないかもしれないが、神殿の財政難で飢えていた孤児を救い、自活できるようにさせたいと慈悲の心から発した行為が産業革命における資本家の労働者搾取の構造になってしまっている。
 SFやマンガを読み始めたら、食事も睡眠も忘れ、誰の声も聞こえない。久しく忘れていたが、自分もそんな子どもだった。

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