八ッ橋紛争 もう片方の老舗は攻めないのは何故2020年06月16日 14:06

京都に住んでいた頃、毎日のように自転車で熊野神社の前を通って、京大や府立医大に行っていた。最初驚いたのは八ッ橋メーカーの多さ。昔は、東京で京都土産というと聖護院の八ッ橋が定番。その後、生八ッ橋のおたべが登場。井筒はだいぶ大人になるまで知らなかった。ところが、洛中では、シェアはさておき、西尾という東京では聞いたことないメーカーが老舗っぽく君臨している。八ッ橋発祥の地、熊野神社の交差点を挟んで聖護院と西尾が向き合う。
 創業はともに1689年(元禄2年)と名乗る。しかし、八ッ橋の由来が両者で違う。さて、その聖護院を井筒が「創業年が虚偽だ」と2年前に訴えた裁判。京都に住んだことがあるよそ者としては不思議だったのは、なぜ、聖護院だけを訴えて、同じ創業年を名乗っている西尾は無視なのか。さらに、なぜ、誰も西尾の意見を聞きに行かないのか。東夷の知らない京都ならではの何か事情があるのだろうと。
 地元の人の話などによると、こんな感じだ。もともと聖護院八ッ橋を創業したのは西尾の先祖。ところが、商売に失敗し、つぶれかかった聖護院八ッ橋の商号から機材、ノウハウに至るまですべて今の聖護院八ッ橋の一族に売っぱらってしまった。で、西尾の子孫も再起して再び八ッ橋の商売を始めたが、権利を手放しているので、先祖の興した聖護院の名称は使えなかった。つまり、会社の系譜としては聖護院が正当、血筋としては西尾が正当。ともに、最古の老舗として、熊野神社の前に店を置いてるわけだ。そして、京都感覚としては、番頭が乗っ取った屋号より創業者の血を引く者が本物なのだろう。井筒にしても、業界の1、2位争いをしている聖護院は訴えるが、西尾にリスペクトがあるのかと。
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/273072

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kajiyan.asablo.jp/blog/2020/06/16/9258147/tb