国会議員や判事に言論の自由はない 作家や役者とは違う2019年05月24日 17:28

 「丸山議員の発言は発言することも許されないのか。言論の自由だ」「こんな風にさらし者にしたら、若者が自分の思っていることを自由に言えなくなる」などという人達と激しい議論になった。
どうも最近は国会議員にも無制限な言論の自由があると誤解している人が多いのではないか。
 「民主主義の特異性は、民主主義その物を否定する言論の自由が認められていることだ」と歴史学者が言っていた。これは他のどの時代のどの政治体制とも大きく違う。例えば、絶対王政の国で、王権を否定する言論活動をしたら命に関わる。
 民主主義の社会では、人権無視、差別容認など、憲法に書かれた民主主義の基本原則に反する主張をする事も自由として認められている。ただし、そのような無制限な言論の自由があるのは一般市民だけだ。作家や役者など民間人なら自由だ。非難は受けるかもしれないが。例えば、作家の百田氏が何を言おうと自由である。まあ、政府の公的な委員などを務めているから微妙だが、基本的には一般市民だ。
 ドイツではナチズムやヒトラーを賛美する言論は誰であろうと法律で禁止されているが、日本ではそれすらも可能だ。当然のごとく非難を受けるだろうが、禁止はされない。
 だが、民主主義と憲法を守るという党是を持った政党から立候補し、民主主義的な手続きで選ばれた議員が民主主義の基本原則に反する主張をする事は許されない。議員に限らない。裁判官や各省庁の役人など、民主主義を守り、その理念を実行するためにある司法や行政の担い手が、民主主義を否定するような言論を発信することなど許されていない。もしも、判事が判決の公平性を疑われるような差別的な考えを公にしたら当然処分の対象になるだろう。
 議員がどうしてもそのような民主主義に反する言論(例えば、差別は正しいなど)をしたいなら方法はある。まず、議員を辞職し、そのような党是を持った政党を作り、そのような公約(例えば、差別主義を実践する)で立候補し、国民の支持を得て当選すれば、そのような言論活動ができる。
 民主主義は、民主主義を否定する政権を合法的に生んでしまう事が可能という危険をはらんでいる。そんな選択を国民がしなければいいだけのはずなのだが。

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