同級生の死に許せなかった新聞記事2019年03月01日 12:26

 3月1日は同級生の命日です。高校3年のこの日、M君は教室で首を吊っているのを登校した生徒に発見されました。受験シーズン真っ最中の事もあり、新聞などが多く取り上げました。
 そんな中、社会面に大きく取り上げたある新聞記事に引っかかりました。

「昨年5月の文化祭では、引き受け手の少ない実行委員長に自ら立候補して選ばれた」

 一体、誰にどんな取材をしたら、こんなデタラメが書けるのか。新聞社に抗議の電話をかけようとしましたが、周囲に止められました。確かに餌食になるだけでしょう。

 文化祭は我が母校で多くの生徒が最も熱を入れる行事です。何年か前に不祥事で秋の運動会が中止になった際は、翌春の文化祭で「不祥事の歴史展」が開かれるほどの盛り上がりよう。
 
 実行委員長は前年に複数の高校1年が立候補し、中学生を含む全校投票で選ばれるのが慣例です。翌年高2になる実行委員長を中心に様々な委員会がつくられ、外部のスポンサーとの交渉、予算の執行などすべてを中高生だけでやります。
 さて、文実委員長は高1が立候補するのが慣例だったのですが、我々の学年の1、2年前から春に一度文化祭を終えた高2からも立候補が出るようになりました。また、我々の年には1学年下の中3からも出た気がします。ほかの学年が出てはいけないという規約はありません。で、我々の年は通常通り、同級生が当選し、翌年の高2の春の実行委員長になりました。
 そして、その高2の文化祭が終わり、次の文化祭の実行委員長選挙に、高1の候補2人とともに、高2で立候補したのがM君でした。
 そして、高1の票は真っ二つに割れたのに比べ、我々高2の票はほぼすべて同学年のM君に入り、史上初めて高2のM君が当選しました。おそらく初めて、高3になる生徒が実行委員長になるのです。
 母校にとって、全校投票は神聖なもので、ブレグジットと同じでやり直しはありません。文化祭に限らず、全校投票で決まったことは規約よりも優先するという決まりがあります。生徒の自由を奪う校則を作り、不正を働いた理事長を学園紛争で追放した歴史があり、生徒に無断で勝手な校則を作れないよう定められたルールです。
 その選挙が終わってからというのもの、毎日のように高1の一団が高2のM君の教室に押しかけ、M君をつるし上げていました。母校は良い意味でも悪い意味でも実力主義で、先に生まれた人間がエラいという考えは全くありません。結局、一学年下の候補だった1人が実行委員会室に乗り込んで実権を握ったと聞きました。
 とはいえ、文実の下部の各委員会の長は一部我々の学年も入るなど、翌年の文実は高2、高3の混成となりました。
 文化祭の時には結構金をかけたいい材質のプログラムを作るのですが、その中には1学年下の文実委員らによる恨みつらみが書き連ねてありました。「選挙結果を見た瞬間、俺たちの文化祭は終わったと思った」とか「文化祭実行委員長(M君のこと)が実行委員室のただの掃除係に過ぎない存在になってしまった」とか。
 彼らにとって、真の意味での自分らが担う文化祭が消失したことは、青春のトラウマになるほどの出来事だったのです。あまり、文実に興味のなかった私でもそれはわかります。

 それを「引き受け手の少ない実行委員長」と一言で片付けた記者は本当に取材したんでしょうか?
「進学校の文化祭実行委員長なんてどうせ誰も引き受けたがらないだろう」という先入観と勝手な思い込みだけで書いたんじゃなかろうかと。

コメント

_ 鍛治信太郎 ― 2019年06月16日 09:26

当時、新聞に名前が載ってたとはいえ、現在、実際の名字を載せるのはまずいのではないかという指摘があり、イニシャルに変更しました。彼の名前を忘れたくなくてあえて実名にした面もあったのですが。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://kajiyan.asablo.jp/blog/2019/03/01/9042115/tb